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熊本県長洲町安正寺

エコウ6月号第366号
2006年6月1日発行

為度群生彰一心
お念仏は仏力の中の生活を開く


 

 六月、早いもので一念の前半最後の月、六月六日は清沢満之師の御命日です。明治の日本の宗教の夜明けを齎して下さった先生ですね。浄土真宗の教えを近代思想の中に開いて下さった働きは血を吐く壮絶なイノチの結晶でありました。その働きの賜り物が今日の教えとして今、生き生きと躍動して下さっています。
 「今イノチが貴方を生きている」これは宗祖親鸞聖人の御遠忌を迎えるに当たっての呼びかけの言葉ですが、このこと一つに目覚めるほかに、人間回復の道はないと言う事ですね。何故ならば、イノチと言う事が言葉だけで、本体が見失われていると言う事実がありますね。「イノチを大切に」何処にでも聞ける言葉なんですが、どのイノチを指して言ってるんでしょうか。イノチは物の働きを表わします。あれを見これを見る、それは眼のイノチ。あれを聞きこれを聞く。それは耳のイノチ。見ては心が動く、聞いても心が動く、動けばそこに判断する心が働く。働けば喜怒哀楽の世界を描き、自他の人間関係の軋轢を生み出す。それを煩悩と言い、五濁悪世の世界を実現する。五濁と言う事は、阿弥陀経の中に御釈迦様の御説きになりますが、時代の濁り、思想の濁り、心の濁り、人間の濁り、生活の濁り、等が党となり、政治の濁りが拍車を掛けて国の濁りとなり、愈々世界を混乱の渦に巻き込んで正常な思索が不能になって、末世の様相を現してきています。
 仏教は何時の時代にあっても、変わりなき人間の道を説き続けています。その一つは、人間の思慮分別には限界があると言う事です。誰でもわかっている事ですが、それから抜け出す事が出来ません。それは思慮分別こそ人間のイノチだからです。毎日毎日思慮分別で生きています。生きるのは自分ですから、自分を守る為に精一杯考えます。考えても、思い通りにはなりません。これを仏教では縁起と教えます。思うのは私ですが、私だけで生きているわけではありませんから、日日、自然の運行と人間関係との中に現実がありますから、思いがけない事実に出会って行く事になりますから、思い通りになる事はあまり無い事になってまいります。
 其処に一つ仏教で教える事は、法のイノチであります。仏法と言う通り、佛は法を教えるのです。法の文字は水の働きを表わします。水は総てに潤いを与えます。物は物となり、輝きを増して生き返ります。枯渇状態はイノチを失います。人間のイノチは心にあります。心のイノチは願いにあります。その願いは個人の願いである限り、達成する事はありません。一切のイノチに掛けられた願い、それが弥陀の本願ですね。阿弥陀は法を表わします。法は一切を包んで潤いを与え、願いを伝えんとして言語となって働いている言葉が「南無阿弥陀仏」です。南無阿弥陀仏は阿弥陀様のお名前ですが、名前が言葉となって、願いに眼をさましてほしいと言う大いなる如来の呼びかけなんです。その如来の心は「至心、信楽、欲生」シシン、シンギョウ、ヨクショウ。至心は仏様の大慈悲心です。私達の身と心に至り届いて下さってあります。信楽は仏様が私と一緒になって心の転回を図っていて下さってあります。欲生は仏様がサア一緒に真実の大道を歩いて行きましょう〃と、働いていて下さっている大いなる願いの躍動。それが「南無阿弥陀仏」の声なんです。私は名となり、至心、信楽、欲生の願いを一心に結び名となって、私達の生活の方向を真実なる方向へと向きを転回して下さる働きに依って変わりなき日常生活を其の侭浄土佛国の中の生活である佛様と共なる日暮しに変えて下さる働きを願力回向「ガンリキエコウ」と言い、本願力回向と言い、仏力他力と教えて下さってあります。如来一心の働きによって今日「コンニチ」の生活があります。いつでもその働きと御心を現に戴いている事実を、お念仏が実証して下さってあるんですね。念仏は一心、一心は如来の智慧。