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熊本県長洲町安正寺
エコウ9月号第357号
2005年9月1日発行
「名告の名号」
お彼岸は人間に光を与える
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お彼岸の季節を迎えました。「日域大乗相応地」日本は大乗仏教が大きく育って行く豊かな大地であると言う事を親鸞聖人は、仏陀の声として命の底に深く頂かれたのでありました。色々な出来事に遇いながらもこの事一つを明らかにしたいと言う願いを一身に引き受けて歩かれた九十年の生涯は、末法の世の今日の人人の大いなる灯火であり、正しい道を示して下さいます。お彼岸は真の世界。それは一切を遠く離れた国、十万億土の西にあると説かれますが、それは一切の人が間違いなく確かに即座に開かれる世界である事を表しています。名告南無阿弥陀仏は阿弥陀様の大悲の心の声です。大悲と言う事は、全責任をもって今現に働ききっておられる如来の響きです。仏陀釈尊は、その声十方世界に響き渡っている。と説かれます。十方世界を隈なく包んで真実の世界に目覚めよと呼び続けておられる声こそ名号南無阿弥陀仏の念仏であります。念仏は佛の念力を表します。念は念願です。本願を表します。本願はたった一つ、正しく生きよ。その他にありません。と言われて、グット心の耳を傾けずにおれませんね。それが名号南無阿弥陀仏の働きです。聞けよ、聞けよの声なんです。その為に仏陀釈尊は四十五年間説法し続けて、南無阿弥陀仏の声のなかに還って行かれました。南無阿弥陀仏は今現に一切の人を包んで、包まれた人の中に入ってイノチの底から呼びかけて、心の奥底で出会う事の出来る確かな世界を開いて下さいます。
それが涅槃、「ネハン」彼岸の世界ですね。
釈尊八十年の生涯の最後の説法は「ねはん」と言う事でした。仏陀説法の三本柱の最後は「涅槃寂静」涅槃の世界寂静の世界、それは智慧の世界、総てを明らかに知る智慧の世界、総てを知るが故に動乱しない静かな世界、そこには怒り、腹立ち、嫉み妬み無き世界が開かれます。煩悩動乱の暗闇の心の奥底から一筋の白光が輝き出ます。念仏の白道と言われますが、右にも左にも傾かない、中道。実はその中道こそ、仏陀説法の中心である寒暖無き世界、いわゆるお彼岸の中の生活、如来の智慧を聞きながらの生活、念仏は私を念じ護って下さってある仏様の心の声を聞きながらの生活でありますから間違いない道を歩む事ができますから、平安で歓びの日暮しが保障されますね。それを無碍の一道と歎異抄に述べられます。天親菩薩は仏陀釈尊の説法の中の一切の善法を実現し尽くされた阿弥陀佛の真実功徳を確かに受領した世界を浄土論、願生偈に述べ尽くされています。お彼岸である阿弥陀佛の浄土を今仏陀釈尊の説法を聴聞してその世界のはたらきに確かに出会った事実は、お彼岸の中の日暮しを実感して山や川、木や水に、お彼岸の風景が映し出され、其処に表れて下さった仏様や菩薩様の姿が回りの人達の表に映し出されて、佛を見、菩薩を見て、浄土の光に満たされている現実の世界を、如来表現の場として戴いた時、生かされている事実に愈々力強く生きて行きましょうと、自ら立ち上がり、共々に一緒に生きて行きましょうと宣言なさったお心を親鸞聖人は、一心の白道と戴かれ一切の煩悩の惑道を清浄一心の如来道に全幅帰依して書き残されたのが「教行信証」であり、その中の正信偈であります。
正信偈は信心の歌と言われますように、仏心である真実の心とその行であるお念仏が大無量壽経の教説のイノチを力説して、その功徳の広大なる事を身に受けた実相を隈なく表されています。そしてその功徳は既に三千年の歴史を通して実証された道であり、現に今この身がその道を歩み続けていらっしゃるお方に出会う事が出来た喜びを共に記して下さって、この道に立ってほしい、この道を聞いてほしい、と言う親鸞聖人の願いは、そのまま阿弥陀佛の願いであり、一切浄土彼岸の仏様方の願いでもあります。だからお念仏すれば自然に自ずから功徳がその身について、光明の広海に浮かぶが如し、と親鸞聖人は現実只今の証を「即得往生住不退転」絶対真実の生活をお示しになりました
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