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熊本県長洲町安正寺
エコウ7月号第356号
2005年8月1日発行
「名告の名号」
聞法供養こそお盆の佛事
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熱い八月。六日、九日は原爆記念日。熱線、熱風、瞬時に建物は崩壊、人は飛ばされ、肉は焼かれ、水を求めて川へ集まった。生き地獄。この事実を忘れてはならない。八月十五日は終戦記念日。お盆。太平洋戦争を始めたのが十二月八日。共に仏教では大事な日ですね。十二月八日はお釈迦様が真実の精神〈イノチ〉に立たれた日。八月十五日はお釈迦様のお弟子であり一切の能力に優れた目連さんが、お釈迦様の仏法を聴聞して、真実の精神に目覚めて、ここにこそ生きとし生きるイノチあるものの根源に目覚めて、身と心の置き場所が見出せて身と手と足が喜びに踊りだしたと言うのが、盆踊りの始まりと言われていますが、仏教の悟りと行動のあり方をはっきりと学ぶべき時に在ると思います。お釈迦様の願いは、阿弥陀様の願い。仏陀のイノチを「法」と言い、その法を仏法と言います。仏法は佛の法、佛のイノチを言います。佛のイノチを、永遠なる願いとして、阿弥陀佛の本願として、無量寿経に詳しくお説きになりました。阿弥陀佛は永遠なる佛のイノチを言います。終わる事無き真実の願い。それを親鸞聖人は『世の中安穏なれ、仏法広まれかし』と願われました。聖人自身の出発にあたって「雑行を棄てて、本願に帰す」と、宣言されました。「雑行」は凡夫の思いである分別。曇鸞大師は「衆生邪見の故に分別を生ず」と明言されました。人間の分別は邪見から生まれます。計らい無き世界は、自然の世界。「自然」の世界は純粋道理の世界。善悪邪正の思慮分別無き世界。ひたすら純粋にイノチのママに生きる。そのイノチこそ全面的に生かさんとするイノチ其の物の働きでありますから、不思議にも、思いがけなく喜びが開かれて参ります。光明遍照十方世界、(コウミョウ ヘンジョウ ジッポウセカイ)親鸞聖人は「光明の広海」と讃えられますが、阿弥陀佛の永遠真実の精神界に抱かれ生かされイノチを運ばされて、「踊躍大歓喜」(ユヤクダイカンギ)これは無量寿経のなかに釈尊がお説きになったお言葉で、イノチの根源に立ち返った安らぎ、充実した喜び、世界中が証明するイノチ、安らぎの世界が開扉されて無碍の一道が展開されます。観無量壽経の中に、釈尊に向かってイダイケ夫人が、「お釈迦様、この世は、地獄の苦しみに満ちて居て、悲しみ嘆き懊悩は連続して安らぐ時はありません。憂悩無き世界があったら教えて下さい」と願って、教えを受け入れる身として、お言葉を待ちます。お釈迦様はニッコリと笑みを浮かべ、「今、苦悩を除く道を説きましょう」と、おっしゃって述べられたのが、長い長い説法の最後に「南無阿弥陀仏」と、称えなさい、と言うお言葉でした。イダイケ夫人と共に聞いていた阿難(お釈迦様の従弟)にも、この事は大事にして、最後の言葉として亡失する事のない様に、とイノチの願いとして説き終えられました。長い長いお釈迦様の説法も、阿弥陀佛の永遠なる願いと願いの言葉である「南無阿弥陀仏」南無阿弥陀仏は如来様の願いの心、願いの働き(行)でありますから如来様のお体であります。そして如来様の心と働きの場所でありますから、如来様の御国と言っても良いでしょう。如来様が何時でも護念して下さってある場所、御守りの中、じっと護り続けていて下さってありますから、「今日も有難うございました。と朝晩、お礼を申しあげる事を忘れては申し訳無い事ですね。亡き人も佛の世界にあって、今私達の心の世界を、ジット見つめて道を間違えないようにと護り念じて居て下さってありますから、尚更の事、お礼を申しあげる事を怠ってはいけませんね。怠ったからとて、佛様は御守りの手を休めて其処を離れられる事はありません。だからこそ今の私の現実の身が保たれているのです。精霊流しとて、離れずいつも護って居て下さる佛様を何処へ流すと言うのでしょう。御恩知らずも甚だしいと言わなければなりません。だから現実が混沌として、一度も夜明けを見る事が出来ないのです。聞法供養こそ人生最高の営みであります。
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