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熊本県長洲町安正寺

エコウ2月号第350号
2005年2月1日発行

「名告の名号」
名告は本願、名号はその行

 

 二月に入り、寒の厳しさ募る月でもありますが、涅槃会を中心に如来のみ教えを素直に頂き直す事を迫られる時ではないでしょうか。テレホン法話にも挙げて置きましたが、釈迦牟尼如来のみ教えの真髄は阿弥陀佛の本願を心に深く開いて生きてほしいと言う他になかった。と親鸞聖人は頂き、その他に無い事を明らかにして下さったのです。 弥陀の本願は、一人も漏れず、皆持っているイノチの底からの究極の願いを掘り起こして下さったお心ですね。
 皆、何を願っているのでしょうか。「希望と言う電車に乗って」と言う歌を歌ってはいますが、その電車、終着駅に辿り着いた験しがありませんね。それでもなお乗り続けて夢を見ながらの人生、夢の浮世とは、良く表現された言葉ですね。浮世。親鸞聖人のお言葉の中に、真の道を知らずに生きて居る人の姿を見て、「浮かれたる人なり」と、呼んで凡夫の悲しさを痛んでおられますが、人間に生まれる事が出来たのは、ひとえに如来様の本願のお力によるほかにありません。何故ならばイノチの根源の願いに出会う事は、如来の働きによるほかに出会いようがないからです。如来様のお心は如来様のお言葉を頂くほかに伺いようもないからです。如来様のお言葉の他に何方のお言葉が有るでしょうか。中国の高僧、善導大師は、教えを説く人に五つの姿がある。と、述べていらっしゃいます。第一に佛。第二に偉人。第三に聖人。第四に天人。第五に鬼人。第一の佛を除いた四種の説は皆我を持った、全体に通用する事の出来ない偏った説であって全人が平等にイノチとイノチが結ばれる慶びの世界を共有する事の出来る教えは佛の教えの他に無し、偏に佛の教えを用うべきである。と、述べて、唯、佛の言葉に従い生きれば、自然の法界に生きる事が出来ると、力説していらっしゃいます。自然と言えば、スマトラ島沖巨大地震と津波、国内では中越地震災害を思い起こしますが、天災人災、地災、思いがけない災害は避けようもありません。それを「諸行無常」と第一に教えられます。逃れられない災害の中にあって、人間としての心情、真の真心を失わず、迷わず慌てず静かに大地にしっかと足を踏みしめて、世界と自己を見つめて生きる大道をこそ、我が名を用いよと、呼びかけて下さっている声こそ「南無阿弥陀仏」です。この声は阿弥陀様御自身のお声であって、聞こえた人に直接に呼びかけて下さるお声なんです。名を持って告げて下さったお声ですから、この声は遠く久しく私に寄り添って、私達が佛様のイノチと一つになって生きる身として下さる、間違いの無い行によって出来上がった名号でありますから、十方世界の仏様は勿論、あらゆる神々も挙って名号を身に頂いている人を、必ず護り通して下さることの事実を総てのお経に述べられています。仏様のお言葉を頂けば、この世の利益際も無しと親鸞様はお声をかけていらっしゃいますね。