ekou
line

熊本県長洲町安正寺

エコウ1月号第349号
2005年1月1日発行

「名告の名号」
念仏のみぞ真実にておわします

 

 新しい年を迎えまして、おめでとう御座います。と申し上げるところですが、いかがでしょうか。新年と言えばすぐ思い出す事は、蓮如上人の所に新年の御挨拶にお伺いした道徳(ミチノリ)に上人は「道徳幾つになるぞ」ハイ、幾つになります、の返事も待たずに「道徳念仏申さるべし」と、声を掛けられたと言う事です。 
 真実の生活と言う事で昨年は聴聞してまいりましたが、真実と言う事は仏様、如来様のお心にあり。と釈尊は生涯を通して教えて下さいました。最後の経典は涅槃経ですが。涅槃は真如法性(シンニョホッショウ)を表し、天地を覆い尽くしている真実まことの世界その物をあらわし、その世界に生きるにはその心を心とし、その心によって生きる事を勧められました。「自ら法に依って生きよ」「一切他に依ってはいけない。法の世界に佛まします。法に依って生きると言う事は、佛様と共に生きると言う事で、真実の生活はそこに実現する事は自然の道理であります。仏様は法をイノチとして生きていらっしゃいます。法は真実のイノチを言います。一切万物にイノチがあります。だから一切万物は法に依って存在しています。だから一切万物は仏様と一緒に歩みを共にしています。特に人間はその事を理解すべきでしょう。物を考え理解するところに人間の特質があるとすれば真実の法を知る。法の心を知り、その心に依って生きる事こそ人間の生きがいの根拠となって、自然に慶びの生き方が与えられます。生、老、病、死を超えて、法界に生きる身となり、一切諸仏に護られた日日を頂戴する事となり、日日是真実に護られた生活、その証明はお念仏申す所にあります。その事を親鸞聖人は唯念仏申すのみぞまことにておわします。と、歎異抄の終わりに述べておられます。
 念仏は、佛を念ずる事ですが、お釈迦様は、一切の佛が念じていらっしゃる佛は阿弥陀佛であるから、阿弥陀佛を念ずる事を念仏と言い、実は阿弥陀佛は、一切の佛も、生きとし生きる総ての生命体を先に念じていらっしゃいますから、自ら衆生に向かって南無して下さってありますから、南無阿弥陀仏と名告って下さってあります。だから「南無阿弥陀仏」は佛が衆生を念じて下さった名告りでありますから、私を念じて下さる仏様と身も心も任せて生きる姿が念仏申す事であります。
 天地自然の真実と一つになった生活が念仏申す事ですから、真実の力に依って、人間の計らいに依る、誤見、誤意、誤解、一切の間違いを、自然法の力に依って正しい本道に立ち返らせて下さるのです。その慶びを、経典には、「信心歓喜の浄信」と説いて下さってあります。
 「南無阿弥陀仏を称えれば、この世の利益キワもなし」と、一切諸仏が証明していらっしゃる経典が、「仏説阿弥陀経」で、その経典の中に、釈尊は「汝ら衆生、当にこの不可思議の功徳を称讃する一切諸仏に護念せらるる経(教)を信ずべし。」と、懇ろに、お説き下さったのが、如来正意の教説であります。