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熊本県長洲町安正寺

エコウ9月号第345号
2004年9月1日発行

お彼岸はイノチの故郷

 

 今年の夏の暑さは、それこそ肌の焼ける匂いが鼻に聞こえる程で、驚いて家の陰に入った日がありました。
 台風に大雨洪水、世界的にこの頃の天候は不順の様相を表していますが、人間の営みの自然に逆らうシッペ返しの様に思われますね。あちこちでその様な声を聞くこの頃ですが、やはりどこかで人間のありかたの間違いを感じていらっしゃるのでしょうか。
 いろんな年代の人々に会いながら、聞こえて来る声は、人間のあり方が狂っているのでは、と言う声ですが、どこがどう狂っているのか見当がつかない様ですね。それは狂っているのがみな他人様の事であって自分はその当事者では無いと勘違いをしている所に原因があります。 仏教は一人一人の自覚を勧めます。一人生まれ一人生き一人死んで行く身です。その一人は人と人との間にあって生きるところから人間と名ずけられました。人の間にあって人に育てられて人になります。其処には親があり兄弟姉妹があり、限りなき御縁を頂いてこの身があります。人間に生まれたる事はおおきなる喜びなり。と日本の源信僧都は申されます。それはイノチあるもの総ての拠り所である自然の世界を詳しく述べられたのが佛の教えであり、いかなる悩みも苦しみも深く味わいながら喜びと生きる力に転換する能力を与えて下さいます。その働きを本願力と言います。弥陀の本願を他力本願と言い、一切人間の知り得る限界を超えたものとして知らされる世界それを彼岸と言い、その世界に生まれ生きる身を実現するものを本願力と言います。弥陀の本願は、総ての人を弥陀の国、真実の国、喜びの国、彼の国に生まれさせたいと願って説法を続けていらっしゃいます。正覚大音「ショウガクダイオン」と御経には説かれますが、それは自然そのものの音響が弥陀の説法であると言う事です。風の音にも雨の音にも念仏、念法、念僧の響きあり、とあります。人間の耳には、我利我欲の声のみ聞こえて、不足不満の音だけを発信し続けています。それが大きな戦争となり、家庭内暴力となり、無理心中となり、イノチを粗末にしてイノチの根源をないがしろにした果報として地獄の世界が反映されて苦しみの連続としての日常が表現されて行きます。お彼岸に御参りする心はイノチの根源に対する深い謝念と、過去一切のイノチの働きに対する報恩を表し、その心を頂く御仏事であります。したがってお彼岸に御参りすれば、佛様である一切の御先祖さまの御喜びを頂く事になり、イノチの根源から喜びの力が湧き出て、身も心も安らぐ事が出来て、人生全体が明るい力に満ちて、暑さ寒さの苦悩を超えて春と秋に感ずる彼岸の気候が身全体に広がって、生きる喜びが周囲に満ち満ちてまいります。 エコノミック、アニマルを脱却して真の人間に立ち返る道、それは、八万四千とも言われる膨大な仏教の根源をたった一つの言葉となって一切の故郷を失った衆生を今日唯今に故郷に帰らしめて下さる働きが、南無阿弥陀仏と言う六字の名号であり、名号こそ一切のイノチの根源であり、故郷であり、お彼岸であり、倶会一処の世界であります。