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熊本県長洲町安正寺

エコウ8月号第344号
2004年8月1日発行

お盆 盂蘭盆 イノチの目覚め

 

 七月八月、お盆の月です。ウルランバーナ盂蘭盆、人間分別の虚妄性を指しています。もともと盂蘭盆経から来た言葉ですが、イノチの世界のあり方を公開し、人間に不動の幸せを齎さんと歩き続けられたのが釈尊八十年の生涯でした。佐世保の小六の女子が、同室の友を殺害し、「会って、謝りたい」と発言してますが、誰に何処で会って謝る事が出来ると言うのでしょうか。釈尊の教えは、一人一人の人生、明日おも知れぬこの世のイノチ、大事に今を生きよ、と教えられます。学ぶべき事、習うべき事、限りなく与えられています。それこそ学ぶべき事は無限といってもオーバーで無いほどとても一生でも学び尽くせません。その中で最も大事な事、それは、如何に生きるかと、言う事でしょう。それは、最も大事な尊い物、礼拝すべき物にお会いする事ではないでしょうか。一日がそれに始まり、それに終わると言う人生その物が尊いイノチの流れと一つになる生き方、それがお念仏なんですね。念仏は阿弥陀如来の名であり、その働きであり、御姿であります。それは名と成り佛となり働きたいと言う願いが重ね重ねの本願であります。阿弥陀如来の御本願は四十八の項目として誓われてありますが、それは皆一人一人を目当てに願い誓ってありますから、聞いてみて下さい。貴方自身への最大の贈り物である事がハッキリする事と思います。実はそこに無上甚深微妙の法の世界が身の周りに満ち満ちて居る事が知らされます。大慈大悲の深い真理の働きの中に生かされている事を知らずに、我見我慢の認識によって、唯敵対する心のみに生きてきた事の如何に罪深い身であったかが知らされれば、亡き人を通して、あらゆる恩恵に対して、その働きを賛嘆し、その働きを足蹴にして来た身の罪のふかさを懺悔し、身の愚かさに目覚め一切の働きの根源に全責任を負って下さる阿弥陀如来の願い、それはその名を知らしめ呼ばしめる願いを、親鸞聖人は「本願名号正定業、至心信楽願以因」と、お正信偈の中に歌っておられます。
 如来様がイノチをかけて実現なさった名、「南無阿弥陀仏」こそイノチその物であり、働きその物でありますから、それこそ名を称える身に如来様が付いていて下さるので、それこそ正しいこの上も無い生活であり、如来様との生活でありますから、一歩も外れる事の無い生活が保証される事は間違いありませrん。それを「念仏申す人の生活には、一つも障りは無い」と歎異抄に示されてあります。そしてまた、天地に満ちている神々も大事に御守り下さってある事も同じ所に述べられてあります。それは久遠の昔から間違いないことを、お経の中に詳しく釈尊のお言葉として残されています。それはお念仏に如来様の心(至心の心、純粋な心、共に生きる心)が込められてあるからなんですね。ここにこそ真実のイノチがあります。イノチを大切に、といくら叫んでもイノチその物がハッキリしていない所に根本的解決がなされないもとがあります。身のイノチそれはまた心のイノチでもあります。心のイノチは仏様のイノチ。仏様のイノチは身のイノチ。たった一つの身と心のイノチ大事に大事に頂きましょう。