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熊本県長洲町安正寺
エコウ7月号第343号
2004年7月1日発行
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自分探しの原理 それは聞法
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年間下半期の始まり。本願寺では年度始めになりますが、改まって今日の生活を見つめて見れば、個人があり、家庭があり、社会があり、国があり世界がありますが、それぞれに自身が自己として生きているのかに、自信が持てていない様ですね。それは、人間として生まれたと言う意味と意義とが不明瞭のままと言う所にあります。それを明らかにする時こそ今と言う事ですね。ある国王が真実の国解明の為、仏法を求めて世自在王佛を尋ね、教えを願いました。此処に大事な出会いがあり、真実の生活の始まりがあります。仏法の教えに生きる人、それを佛と言います。佛と言うのは、真理に目覚め真理に生きる人の事です。覚者とも言いますが、その事を見極め説き尽くされた方が釈迦牟尼仏陀、釈尊と申しますね。釈尊の教えを仏教と言いますが、その教えを聞くのを聞法「モンポウ」と言いますが、法を聞く、法と言うのはイノチを表します。佐世保の小六児童の事件を前にして教育関係者の途方に暮れた様子に、ハッキリとイノチのありかが明瞭でない事が表現されておりますね。
イノチを大事にと言ってみてもイノチその物がハッキリしていませんから、この事件は個人、社会、国家間を問わず連続して終わる事は無いでしょう。「差別の根源は慢に在り」と祖内の研修会でお話ししましたが、自己自身を仏陀の教えに照らし見る時、法に背き、義に違えている自身を発見せざるを得ません。これは親鸞聖人が教行信証に明記していらっしゃる人間社会混乱の原点であります。
真実の宗教の原点は弥陀の本願にあり。と示されるのが、お釈迦様の本意であります。本願を頂き御念仏に生かされるのを「真宗」と言います。
「如来所以興出世 唯説弥陀本願海」仏陀がこの世にお出ましになられたのは、唯この事一つ。全てのイノチの根源である、阿弥陀「無量壽」のイノチ「壽」である事を知る事が先ず第一に認識さるべき事であります。それは「命」は全て平等であり、何にも変え難い尊い物であることを「天上天下唯我独尊」と示されます。世界にたった一人の存在、その人の行動は永遠に失われず、永遠に受け継ぎ働き続ける「身、口、意」の業を仏心と言います。私たちの命の根源は、「暖と識」であると教えます。「暖」は煖とも書きますが、心の温かさを言います。つまり愛、仏法で慈悲と表します。そして「識」知る事ですね。考え思い生きて往く。それが弥陀の本願「壽」の精神ですから身のイノチの「命」が弥陀のイノチの壽と一つになって寿命が完成する事になります。そこに本当のイノチが明確になり、人間が誕生します。人間は真の知識である佛の「法」を知る事なくしては人間たることは実現不可能であります。大宇宙にはたらく「法」の真実、それを受け取る一人の人間。そこに「法」が完全にはたらき出でて「智慧」と「慈悲」との「壽」に合掌し礼拝し帰命し生かされて生きる所に、真の人間の輪が形成されてゆきます。それが弥陀の誓願であればこそ、人間の力を超え、「大願業力」と言われる、他力仏力と言う力「ハタラキ」によってイノチを大切にと言う事は完全に履行されて行くものであります。
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