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熊本県長洲町安正寺

エコウ4月号第340号
2004年4月1日発行

人間誕生の基盤は念仏にあり

 

 四月一日は親鸞聖人の御誕生日。四月八日はお釈迦様の降誕会。今月の言葉に、「無明の大夜に超日月光を齎せた人、釈迦如来、親鸞聖人」と表記しましたが、釈迦如来は、世尊であり、親鸞聖人は、宗祖と仰ぎます。如来の事を世尊と言い、宗祖は命の親を表します。世尊は、世における大導師。人間を正しい方向に導き向かわせて下さったお方、過去現在未来の三世に真実の光を点して下さった方であります」。特に親鸞聖人は、お釈迦様の教えの真髄を見極め、仏道の歴史を通して全人類の究極的正しい立場を明らかにお示しになりました。世尊と宗祖。お二人の誕生によって、この世の道を求めて尚、明暗定かならざる者、急ぎ真実の教え、大無量壽経の本願名号の真実教行に直参すべきであります。釈尊は、急ぎ、自己自身に出会い、真の人生の第一歩を踏み出せ。と宣言されます。これが釈尊生誕の第一声「天上天下唯我独尊」であります。天と地の命を受けて唯一人、一人の場を与えられた身。そこには無限の過去からの大いなる願いがかけられてあった事が知らされます。三月の中旬、大学卒業生の、式後の人達にマイクを向けて思いをたずねていましたが、答えは皆一様に、世の中のお役に立ちたい。と意気込みを述べておりましたね。人間は皆、孤立した存在ではなくて、係わり合い、結ばれ会って生かされています。
 でも、自己自身は他の誰でもありません。その人だけに与えられた、特殊な条件と能力と精神を持って生まれて来て居ます。外見からは不公平なと思われるような身体と環境に、たじろぐ事もあるでしょうが、お釈迦様は、いかなる人にも、真実の精神と、苦悩の中から、驚くべき力をもって立ち上がり、お役に立つ身を実現する場が与えられてある事を、お示しになっていらっしゃいます。
 涅槃経のなかに、「一切衆生、悉有仏性」と尊い身の本質をお示しになります。一切衆生と言うのは、例外なく誰でもと言う事で、天魔も悪魔も妖怪も、実は、命の根底には、大慈悲の志願を共有しているのである事が、詳しく述べられてあります。
 テレビで世にも恐ろしい事として、死人の霊魂が表われて災いを引き起こし、あらゆる災難が、死人の恨みから出てきているかのように、思わせぶりな番組が放映されておりますが、真実の精神とまともな知識の持ち主には、いたって幼稚な、ただ恐怖心をのみ起こさせて、時間つぶしの、折角の人生を、空しさの中に追い込むだけで、光に向かっての人生を断ってしまう事になります。大無量壽経の上巻最後に「各皆一等」〈各々皆それぞれに、その人でなければ、なし得ない、身と心と思いが盛られた器である〉と言う事で、二等三等と並べる事は出来ない程、尊い存在であると示されます。そこに人権平等の世界があります。人間の思いで平等の世界を考えても、思いその物が差別を基盤としていますから、平等は永遠に実現する事はありません。それぞれの国の歴史が明らかに物語っています。
 真実の国。清浄なる国。各皆一等の国。平等なる国。安楽なる国が既に建立され、その国から、国の主、阿弥陀如来が、直々にお出ましになり、ひとりひとりに呼びかけていらっしゃいます。その声が「南無阿弥陀仏」であります。南無阿弥陀仏を名号と言い、お念仏と言います。阿弥陀様が自ら身を乗り出して来て、ひとりひとりの身と一つになって来て下さったので如来様とお呼びするのですね。念仏は仏様が私達を念じて下さってあるので、お念仏と申し上げるのです。
 普通一般に、お仏壇と言っておりますが、正式には「御内佛」と言います。わたしの命の奥底にじっと大事な正しい真心を失う事のないように、護りつずけていらっしゃる働きの声が「南無阿弥陀仏」と言う佛の願いのお声であります。そのお心を大事に頂く姿が、お内佛の御本尊の前で座してお念仏してお参りすれば、仏様のお力で心身共に安楽柔軟な心身を頂く事ができます。不可称、不可説、不可思議の功徳が、知らず求めざるに与えられる。と、親鸞聖人は実証して述べておられます。
 生まれ難き人として、生まれさせて頂いた意義は、知る能力を持った人間として、真実なる世界を認知する身体で、如来成就の世界を確実に体感する生活を、「即得往生」と教えられます。「即得」と言うのは、今すぐと言う事で、往生は、如来様と御一緒の日暮しと言う事で、御一緒の仏様のお名前を嬉しさのあまり御称えするのがお念仏ですね。如来様は、いつも休む事なく、一心に念じ通しておられます。