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熊本県長洲町安正寺

エコウ3月号第339号
2004年3月1日発行

お彼岸はお念仏の歩み

 

 厳しい冬を越え、暖かい春を迎えました。お彼岸は仏様のお国、真の道を得て生きる人の国です。実にお釈迦様が生きられた国ですね。
 お彼岸への道として、八つの道が説かれますが、実はその道こそ人間の道として、正しくお釈迦様が確信をもってお示しになった道であります。布施の道。心身あげてのボランテア、持戒の道。自我の欲望に流されず、いつも正しい物差しを持って歩み。忍辱の道。如何なる苦しみや辱めをも正しさへの眼差しをも失わず。精進の道。一心に励んで怠らず。禅定の道。清らかな心を保ち、善し悪しの心に拘らず、自他共に喜び会える日暮しを願い。智慧の道。全ての人が頷ける世界の道理を見極めて生きる事を八つの正しい道としてお示しになりましたが、釈尊自身、未来世の衆生、ー「仏法に遇う縁無き人」ーには不可能なる道として、お弟子に述べておられますが、釈尊八十年の生涯の中で、唯一つ、老、少、善、悪の人を問わず実行し得る道として、念仏の道をお説きになりました。
 親鸞聖人は、その道を、如来様の道としてお示しになり、念仏の道を正しく戴いて、身も心も生きて行かれた先達を七人揚げられました。龍樹大師。印度の高僧で釈尊の教えを集約して、難と易の道に分け、一人一人の力で歩む道は険しく、成り難き道であり、如来の力で歩む道は易き道であり、誰でも行ける道である。と延べ自ら歩まれました。次に天親菩薩。この高僧も印度の方ですが、真の仏法は一心にあり。と述べ、一心は人間には在り得ない。心は常に動きずめ、一心不乱と言っても、一瞬も成り立ちません。唯釈尊の一心と阿弥陀仏の一心の信行とを頂けば、慢心「万心」の乱れ心に不思議にも知らされる一心こそ如来回向の一心と頂き、その一心を、仏道その物として生きて行かれました。次に曇鸞大師。中国の高僧で、自力の道と他力の道に分けて、自力は人間個個の力では、正常道は見窮め難く、佛の示される道こそ誤り無き道で佛の導きに従う道を他力と示し、他力の一心こそ、全ての人の道として歩まれました。次に導綽禅師。中国の高僧で、自ら行じて悟りの世界に行こうとするのは、既に説かれている仏道を知らない人の歩みであって、完全に開かれている道は阿弥陀仏の浄土への道一つであると示して、浄土から開かれた道を現実に生きて行かれました。次に善導大師。同じく中国の高僧で、浄土への道は唯念仏の他に無し、と、お念仏を人々に勧めて、人は皆凡夫で智者も愚者も本当の所、自分自身の力量を知らず、自他を分別し自他共に判断に誤り、誤った判断で自他の人を見て、真実の道が見えて居ない凡夫の自己に目覚めよと生きて行かれました。その頃日本では聖徳太子がお出ましになって、凡夫の世界である世間は皆間違いだらけで、唯仏様こそ真実であり如来の教えこそ人の国の基礎であると憲法に示されました。日本の源信僧都は、真実に生きる道は念仏が根本であるとお示しになり、往生要集に詳しくお述べになり、念仏以外で行くかぎり煩悩が働いてさまざまの地獄への道となる事を明らかに示されました。日本で浄土宗を開かれた、法然上人は、阿弥陀仏の本願は唯念仏して生きよと、願われるのであって、人として生きるには、念仏以外には無く念仏こそ正しい道であると説き述べ、世界で初めて他力本願念仏宗をお開きになり全人類平等の大道が開かれました。その時。念仏以外の宗教団体と、文化人、知識人と自負する人達が揃って朝廷に訴えて、念仏の人達の集まりは解散され、法然上人と親鸞聖人は流罪となり、お二人はその後お会いする事は出来ませんでした。しかし親鸞聖人は七人の高僧の身を通された「唯念仏」の教えこそ如来真実の教えであり、如来真実のお働きそのものである事を顕かにされたのでした。