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熊本県長洲町安正寺
エコウ4月号第328号
2003年4月1日発行
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真実からの贈る言葉
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四月八日は、釈迦牟尼仏陀。お釈迦様がお生まれになった日として、御誕生をお祝いする御花祭りが賑やかに開かれますね。花御堂の御飾りの中に立たれた、小さな誕生佛。右手を上に、左手を下に指差して、人として生まれた意義を示しておられます。それを言葉にして、「天上天下唯我独尊」=天にも地にも人は皆、一人一人の尊い使命をもって生まれてきたのです。生まれた事は、死すべき身をもっています。お釈迦様の言葉に、死すべき身でありながら、今生きているのは不思議な存在であって、無量無辺のいのちの総和のお蔭であると諭されますね。
三月二十日から始まったイラク攻撃の戦い。世界は、その軍事力による攻撃の賛否に、陣営が分かれています。賛成はイラクを悪と決め付ける国、反対は、話し合いで決定すべきで、自然を壊し生きている人を殺すと言う行いは大罪である。と言う切論。仏陀も人の悪の第一に「殺生」をあげられます。命は誰にも所有されるものではありません。自分の都合の良し悪しで、生と死を左右する事は許されません。他殺であれ、自殺であれ、命の尊さがわかっていないのです。
生と死の間に、老いと病いがありますが、これは身体の歩みの必然的変化であって、当然表われる様相であります。
人生は苦なり。と示されて、四苦八苦と教示されます。四苦は生、老、病、死、後の四苦は、一にー愛別離苦。二にー怨憎会苦。三にー求不得苦。四に五陰盛苦。人は皆何事にも執着しとらわれて自ら苦を生み起こして、その苦の中に自分を追い込んで行きます。壁にぶつかって、自分の分別で壁を作っておりながら、その壁が周りの人や国に有るかのごとく、誤った見解から、争いを起こし、戦争に踏み込んでしまいます。戦争反対と叫びながら街を歩き、遮る物があれば、これを押しのけ突き進み、戦争している人々に向かってそのコブシを振り下ろしたら、それもまた、戦争ではないでしょうか。
人の盾を志願して出かける人もありますが、武器を前に素手の人に勝ち目はありません。
親鸞聖人は、歎異抄に、「慈悲に聖道浄土の変わり目あり」と御示しになります。「慈悲」は人間の愛と良心を超えています。真実の道に立ち返らせる働きを言います。真実の道は如来の道です。如来を真実と言い、真実を如来と言う。とは釈迦牟尼仏陀の御言葉です。
真はマコト。マコトは嘘、偽りの無い物。そのマコトが「実」となった事を真実と言いますから如来様の御働きにこそ、真実はあります。
その真実の働きである身に、真実の言葉が与えられています。それが「南無阿弥陀仏」と言う御念仏であります。その御念仏が真実の心の信を心弱き凡夫に、いかなる問題に遭遇しても、迷う事のない強固な信念を、如来のマコトをそっくりそのまま御与えになります。これを信心を頂くと言ってまいりました。
その信心を、真実信心と言って、親鸞聖人は、如来より賜りたる信心と言って、誰の信心も変わりなく、阿弥陀仏の浄土の行と信を頂いて弥陀の浄土の世界の中に生かされて行く身として頂くところに、尊い生活の中に住まわせていただく事となり、触光柔軟の弥陀の本願によって、身も心も硬さをほぐし開神悦体、(カイジンエッタイ)心も体も悦びに満ち満ちて、お釈迦様がお生まれになった時のように、花は咲き輝き、世界に光満ち満ちて、光の国、明るい世界、争い無き社会が私達を招いています。
いわゆる真実の世界の弥陀の浄土から、真実の国と真実の精神と真実のはたらきの言葉である、(南無阿弥陀仏)が迷いの中にいることを知らずに右往左往している知恵浅き人々に呼びかけている声が、お念仏でありますから、一心に疑いなくお念仏しなさいと、お勧めになるのです。一切の諸仏、諸天善神、悪魔も鬼神も挙って念仏を勧めます。お念仏こそ如来真実からの十方世界の人々への誠心誠意、たった一つの贈る言葉であります。
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