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熊本県長洲町安正寺

エコウ1月号第325号
2003年1月1日発行

如何なる瞬間も眞は実となる 

 

 昨年の十一月。私は一冊の本の表紙に、釘付けになりました。それは「真実の瞬間」と言う題名だったからです。浄土真宗を開顕なさった、真宗の祖、親鸞聖人の、み教えに日頃導かれて居る身にとって、真実と言う言葉は見過ごすわけにゆかなかったからです。
 実はこの本、スカンジナビヤ航空の社長の著で提氏の訳になった書で、事業経営の責任者の心すべき事柄が記されていました。
 モウメンツ.オブ.ツルウ。真実の瞬間と訳された題名ですが、瞬間とも言うべき時に、経営の世界は一転して良い方向にも、悪い方向にも展開するもので、その機を大事に受けたもって、疎かにしてはいけないと言う啓発の書でもありました。
 英語の世界で、ツルウと言う世界がどのような物によって成り立っているのか、またモウメンツと言う時間がどのように捕らえられているのかハッキリと尋ねて見たい所ですが、私達真宗門徒として、真実の瞬間を味合わせて頂く良い、それこそ見逃すことの出来ない機が与えられた物と頂きました。
 それぞれに、立場立場に於いて、心すれば、疎かに出来ない場に置かれている事は、言うまでもありませんね。
 昨年ノーベル化学賞を受賞された田中さんも、ある実験で失敗した事を、大事に受け止めて、その実験を進めて行かれた所に、世界的発見が訪れたのでしたね。
 この世は、如何にして出来上がったか。西洋では、神によって、創造されたと説き。神の愛に従う事こそ、人のあるべき道と説きますが、人間世界の現実の歴史は、悲しむべき事実の展開から、抜け出す事が至難のようですね。
 仏陀釈尊は、全て業によって存在し、進行し続けて居る。と説かれます。「業」(ゴウ)それは三つの業によって動いています。身、口、意(しんくい)の三業と言いますが。身の働き、口の働き、つまり言葉と心。三つの中心は心にあります。心だに、誠の道に、かないなば、祈らずとても、神や、守らん。と言う唄がありますが。祈る所に、すでに道を反れた事実を黙認している所があるのでしょうか。
 何か、思いがけない出来事に出会って、何でこんな目に遇わねばならないのかと、不審に思う事があるようですが、事実は、どう変更しようにも変更できない所に立っていますね。瞬間瞬間の出来事の事実は間違いなく、進行して行きます。
 それは全く、自然の法則に従って実現して行くものです。
 親鸞聖人は晩年、自然法爾抄を御書きになって、何も計らう必要はない。事実の中に、都合の良いも悪いも、その人の思い計らいを基礎にしていても、その思いだけで事実があるのではなくて、諸法無我と釈尊が御示しになるように、無量無辺の、縁起の法則に依って発起するものでありますから、実は当人にとっては思いがけない出来事でありましょうとも、法則に適った現実と言う事が出来ます。
 実はその現実、永遠真実の法則の表れでありますから、その事を大事に尋ねて見れば、実は現実の生を完成せしめんとする、真実からの働きである事を知る事ができます。
 眞は誠、誠は眞事、眞事は、事実、事実は真実。真実は如来。如来はその人を正しくあらしめんとして常に働き続けていらっしゃいます。
 つまり如来様のお心、清浄心、慈悲心の中に安立させて下さるのです。
 一つ一つの出来事の中に、一切諸佛と、、諸佛に同心する神々の護念の事実が込められていますから、一息一息の事実の中に真実のいのちある事を受け取って行けば、安危を共同して下さる御力に生かされて、心安らかに、心身柔軟にその日を送る事が出来るのです。
 真実の瞬間。瞬間瞬間に真実が働いています。いかなる瞬間も疎かには出来ません。
如来は満ち満ちて居て下さるからです。