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熊本県長洲町安正寺

エコウ1月号第313号
2002年1月1日発行

本願は宇宙に遍満する壽(イノチ)の志願

 

 明けましておめでとうございます。平成十四年の年を共にお迎えする事ができました。昨年は、漢字の一字で表わせば{戦}という字になりましたが、世界的に、いろいろな面で敵対、混乱、痛苦の1年でした。これは、自然界の問題ではなくて、人間の思惑から起きた問題ばかりでした。政治、経済,分化、教育。何を取り上げても、大事な問題でありながら、抜本的抜本的という言葉ばかりが行き交って、一つも根本的施策が見出せておりません。希望と不安と、焦りと怒りが共発して、徒に思考と労力を空費させて、大事な時を失って、心身の命をより短くしているのではないでしょうか。
 この事実を見とおして説かれたのが釈迦牟尼仏陀の教説であります。八十年の生涯をひたすら、あらゆる生命の中に共存する人間としての道をついに建立して下さったのでした。
 世の実相は、移り変わり、変化して止まる事はなく、一つの状態が保たれることは無い。それを「諸行無常」と示されます。そしてすべての存在は、固体のみで発生も持続も不可能である事を「諸法無我」と教えられます。すべては移り変る、変わる事体に人間が関わっている事が大半である事は否定できません。
 それぞれの場所に、それぞれの人間がそれぞれの考えで、感受し思考し行動すれば、いやがうえにも変化は激しくなって現成します。
 同じ場所、同じ環境にあっても、意思と感覚と体が別であれば、その世界は全く異なって、良いと思っても、悪いという人がある限り、苦痛にならざるを得ません。それを仏陀は「一切皆苦」と示されました。そこから人生は苦なり、という自覚が起こされてきます。しかしその苦こそ、新しい思考へと導かれて行きます。
 無常、無我、苦の内情を自覚自得した所から、仏陀が示される、法の世界、真実の世界が開示されてきます。それを「涅槃寂静」と言い、仏教の目標があります。「涅槃」はニルバーナという原語で人間の分別を超えた眞の世界を表わし、共々に慶び会える世界が示されてあります。そのような世界を実現するには、共なる願いの確認が必要になってきます。
 互いに確認するには、多数決を取らざるを得ません。しかし少数意見が間違いであるという事は確定できません。特に権力者の意見には多数者おも従わざるを得ません。ここに為政者の責任が問われて来ます。
 今日の国内国外を問わず、諸問題の解決の困難さは、かかって人間の思考の多様さにあります。でも、一人一人の思考は尊重されるべきであって、決して除外切り捨ては、許されません。たとえ悪意、悪言、悪行であっても、其の人にあっては、抜き差しならぬ存在であるからです。存在には、それぞれに永い業の歴史があります。でもその歴史のなかに、涅槃のはたらきが続けられています。涅槃は仏性である。と親鸞聖人はお示しになりました。一切衆生悉有佛性と涅槃経に示されます。それは全ての人の業の中に法の志願がはたらき続けられている事を表わしています。これを仏教の四法印とも言い、三法印とも言い、仏教の特色を表わします。涅槃寂静という事は他の教えには見出せません。平成十三年の「戦」の時を終えて、十四年は「忍]の年とも予測されていたりしますが、戦と言い忍と言うも、それぞれ一人一人の認識にかかっています。
 人類の平和、世界の平和、宇宙の平和は、かかって人間の意思、思考、言語、行動に掛けられています。
 それを開く鍵。それは、昨年から慧光紙に掲げてまいりました。
《二十一世紀は、自力我執の扉を開き、真実の精神開発の時代》であります。仏陀顕開の法は今、時来って、尽十方に現行し、世界に、一人一人に強力に願行されています。我執の見解を、一応持って、真実の心と行有りと示される仏陀の説に耳を傾けて参りましょう。
 末法五濁の世となりて、弥陀の本願広まれり。本願は真実の精神を開示しています。真実の精神に会わずして人間の成立はありません。