光明名号信一念 J
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十一月は親鸞聖人の御正当、報恩講の月ですね。本山では御正忌報恩講が勤められ、全国の御門徒がお参りし、聖人の御苦労を偲び、御恩に報いる為に愈々聴聞し、み教えの真実に会わせて戴く事を慶びとする処に、御参詣の御姿が現われています。丁度十年前、現在の本願寺御門首がその職に就かれた儀式が行われた時の御正忌に一週間御本山で法話の講師として勤めさせて戴いた事ですが、其の時の法話をお参りして下さった御門徒の大江達子さんの録音テープを発見、聞かして戴いた事ですが、その中に、今月の言葉として掲げました、「聞法に依って順逆の人生が、遣換の人生へと変わって往く」と言う私の言葉に出会いました。親鸞聖人は、一生を貫いて、真実を求め続けて、ついに、浄土真宗を開顕なさったのですね。浄土宗は師法然上人が時に叡山きっての知恵者と言われ、戒師といわれた方でしたが自身を見つめた時、これで叡山を代表する僧とはとても言えない。と、経蔵に入り一切経を読破しても暁が見えず、善導大師の観経疏の「一心専念弥陀名号」の御言葉に出会い、あ、此処に既に、衆生の救いの道が開かれてあったと、歓喜し、一切衆生の救いは弥陀既に成就して下さってあったと、唯念仏の一行こそ衆生救済の道であったと、浄土宗をお開きになったのですね。親鸞聖人はその教えをお聞きになって、浄土宗こそ真宗であると言う事で浄土真宗となずけられたのです。其処から親鸞聖人は、浄土宗に真あり仮ありと真仮を分けて、真と言うは、選択本願。仮と言うは、定散二善。浄土真宗は如来選択の願心にありと、開顕して下さったのですね。だから浄土真宗は如来の現行を表します。如来の現行は御念仏なんです。南無阿弥陀仏は声として表現されますが、その声は如来の御働きを表しています。その御働きを回向と言います。謹んで浄土真宗を案ずるに、二種の回向あり。一つには往相二つには還相なり。とお示しになります。善導大師が「二河白道」のみ教を示して、人生は欲望と腹立ちの川を渡って居るような状況で条件が良かったり悪かったりで順逆の繰り返しですね。其のことを百も御承知の阿弥陀如来は西の方、私たちの行く先から私たちに向かって私の名を称えて真っ直ぐ来なさいと言う換び声、必ず護って見せますと言う諸仏の声。と同時に御念仏の道を進んで行きなさい、と言う声が東の方から聞こえてきました。それがお釈迦様の発遣の御声なんです。西、往く方向。東、私達の居る場所、現在処。今日只今の人生は、良かったり悪かったり順逆の人生が、阿弥陀如来と釈迦如来の、二尊の遣換の御働き、即ち御廻向によって、護られ続けられての人生でありますから、親鸞聖人は、南無阿弥陀仏を戴けば、無上大利の功徳を得るなりと、お示しになりました。
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