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熊本県長洲町安正寺

エコウ9月号第476号
2015年9月1日発行

真宗興隆

光明名号信一念 H

 八月のお盆を過ぎて九月。秋のお彼岸ですね。共に御供養のお勤めです。八月に聞法供養と言う事でお話ししましたが、仏様の御心に通じる処に喜んで戴く事が出来るんですね。衆生の中で亦有情と言う言葉があります。情、ナサケですね。いわゆる心。心識。知識。心にしっかりと認識する。心の方向を定める。どちらに向かって歩みを進めるか、そこに釈尊の出発点がありました。求道者の姿が目に入ったのです。人間に与えられた歩み、それは人間に特に与えられた物は、人としての道の発見でありました。大無量壽経のもとの経典に「人道経」があります。人としての道。道路。英語でロード。歩むべき道。中国で道教と言う教えがありますが、この頃の中国の様子を見ていますが、道教は何処へ行ったのやらと危惧せざるをえません。あれをご覧と示されたのがお彼岸と言う事です。川の向こう岸。向かうべき世界それは彼の岸、向こう岸。川は、渡るべきものであって、流されるものではありません。流れても結構ですが、流れ着く処がはっきりしなければ永遠の流れで留まる処がありません。それは流転でしょう。生々流転。迷いの連続です。釈尊はこの身は最後生身なりとお示しになります。生々流転では無くて、この身でこの身は終わり。再び身を持つ事はない。「後有を得ず」とおっしゃいます。身としての再現は無いと言う事です。この身を持って人間行の完成。生まれた意義と意味の成就を示して下さってあります。それが涅槃と言う事です。仏教の三本柱。「諸行無常」「諸法無我」「涅槃寂静」一切は動いていてじっとしている物は無い。常に変化し続けている。だから一時として同じものは存在しない常に新しく未来から来ている物ばかりである。今までの思考で接する事は間違いである。未来からと言う事は、現実ただ今の事実は今までかって經驗したことの無い事実に直面していると言う事です。其処に私たちの有るべき姿、持って居る知識全部を空にして今日只今の事実に対面しなければなりません。その対面の方法は唯一つ、事実を敬虔にお尋ねする事です。真実は常に私に向かって働いています。その名を如来と言います。真実の如来。真実を如来と言うと涅槃経に示されます。常に真実が一切平等に働いています。それを目覚めよと言う言葉で表現されます。自分の知識分別を握りしめ通す事は、自力傲慢性を押し通す事になって、自ら暗黒の世界苦悩の世界に投入する事になって、それを自業自得と言い、迷界を表し、光明の世界彼岸の佛界に目覚めよと促されるのが春秋のお彼岸のお勤めです。