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熊本県長洲町安正寺

エコウ7月号第474号
2015年7月1日発行

真宗興隆

光明名号信一念 F

 光明名号信一念。と言う題のもとにお話を続けて参りましたが、光明。名号。信。一念。それぞれに独立しておりますが、共に一つの事でもあります。光明についても、仏教では智慧の事を表します。仏様の教えは、世界の、世界と言っても、十方世界、ありとあらゆる世界。科学の世界。文学の世界。哲学の世界。医学の世界。宇宙科学の世界。人間の課題とする全世界の指針となるべき道を明らかに照らして下さってある教えなんです。真実の光と言ってもいいでしょう。真実を示している光。その光に照らされて真実を見出す。その光に依らなければ、人間としての道を見失ってしまう危険性があります。今月は七夕とお盆の月ですね。七夕は天の川を挟んで、年に一度彦星と織姫が出合う事が出来るんですが、一番大事な事は、一生に一度は必ず出会わなければならないのが私自身なんです。私自身なんてとっくに解ってます。と言う声が聞こえてきそうですが、貴方が見ている自己自身と他人が見ている私の姿はどうなっていると思いますか。そんな物どうでも良い、といってしまえばどうでも良いんですが、本当に生きようとすれば、永遠真実の道を示された釈迦牟尼仏陀の教えの光の鏡に照らされて見ると、自己自身の実相が見えて参ります。私自身の心の蔵の中に八万四千の煩悩が一杯詰まっている事にキズクでしょう。でもその八万四千の光こそ、阿弥陀様の光明なんです。その光明は十二の光となって働いています。無量、無辺、無碍、無対、炎王、清浄、歓喜、智慧、不断、難思、無称、超日月の光となって阿弥陀様自身が働いて下さってあります。無量無辺無碍は、十方世界に障りなく無限大の自己自身の世界が広がります。これを大無量壽経には、虚無之身、無極之体(コムシシンムゴクシタイ)と、お示しになります。無限大の仏様の命と一つになって生かされて往くのです。小さな自身の中の胸を焦がして世の一大事と、騒ぎ回っていますが、心配するな私と一緒、私の名は南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏と聞こえたでしょう、もう大丈夫。私の声が聞こえたら私のイノチは貴方のイノチ。それを寿命と言うんです。壽(ジュ)は永遠真実のイノチ、命(ミョウ)は身のイノチ。身のイノチは八万四千の感覚。思慮分別。憂悲脳苦(ウヒノウク)憂い悲しみ悩み苦しみの渦の中。人生は苦なりとは、釈尊以来人皆感ずるところ。その苦の解決に真実の感覚を明らかにして下さったのです。いわゆる如来の精神。真実の感覚。真実心。それを一心となずけ。一心を戴き。一心に生きられた天親菩薩の浄土論願生偈。曇鸞大師の註論によって如来真実の一心に出遭われたのが、天親菩薩の親と曇鸞大師の鸞を戴いて親鸞と名乗り九十年の生涯を真の宗教の解明に捧げられて、何度も何度も訂正しながら八十五六歳で完成された浄土真宗の書。教行信証。は真実の宗教道を世に公表された書で、聖徳太子がお示しになった仏法に、生涯のイノチをかけてお応えになったのが親鸞聖人の浄土真宗であります。聖徳太子は、この教え。いずれの世、何れの処に生きるものも、戴かないものがあるだろうか。人甚だ悪しき者少なし教うれば必ず従うと示されました。