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熊本県長洲町安正寺

エコウ5月号第472号
2015年5月1日発行

真宗興隆

光明名号信一念 D

 春のお彼岸を越え四月の新年度を迎え五月のゴウルデンウィークに入り、大いに楽しむ日日とは、言い難い世相ですね。過去の歩みを背負って、前に進むと言う事は、過去其の物の認識を確実な物にしなければなりません。一人一人にしても、一国一国にしても、決して単独では在り得ません。釈尊説示の通り、物事は因縁和合の表現の現われです。世界第二次大戦終了に際しインド、ネール首相は日本への賠償責任要求を断りました。さすが釈尊誕生の国主だけに、因縁和合の真理の現実に立った思考だったと思います。現代世界に於いても、国益の基本理念に立つ限り、AB陣営に別れ、密かにでは無く、堂々と、軍事施設の拡充と、殺生能力の誇示に走っている現状は、末法其の物の様相で、日本の憲法創始者聖徳太子の精神に立ち返る事こそ今最も急を要する事では無いかと思われます。特に五月は憲法記念日を掲げています。特に憲法は為政者の為にと言われますが、生きている総ての物の根本精神を表現するものと思います。表紙の写真は宮城を空から見た物ですが、元東京は関東の海岸に面した湿地帯の弱い地盤に、徳川家康公が、豊臣秀吉の命で築き上げた町で、四百年の歴史を持って居ますが、権力争いの中にあって、根本に「厭離穢土、欣求浄土」の精神が働いて居た事は否めません。其処が宮城となり。皇居となり。国民の象徴としての両陛下のお住まいで、その動向は世界の人々の注視の的でもあります。其の両陛下が南方戦線の激戦地を訪れ、内外を問わず、戦没者の追悼の旅に出かけられた事は、その意を深く受け止めるべきでしょうね。宮城は九条に通じます。人間の知恵はそれぞれ限界を持っています。自利だけあって、他利は考えようがありません。光を知識の範囲として表現すれば、遠くまで届く光は持ち合わせありませんね。その中で仏陀の説法は、「威神光明最尊第一」(イジンコウミョウサイソンダイイチ)と言われる、超世と言われる、生命の根源から発せえられる願い(これを本願と言いますが)生命の根源からの働き、その働きで生かされているにもかかわらず、其のことにきずかない処に人間の認識の限界があります。しかし、其処に、生命の真実性を述べられた処に、仏法と言われる、覚醒された認識の世界を宣布された処に、難思議之法と言われて、人間の自利中心の思惑を超えていて認識の限界を超えていて尚そこに徹底して働き続けている力。それを願力と言い、仏力と言い、他力と言って、他力本願と示し、その本願は、南無阿弥陀仏と言う真言。一句の言葉となって、私たち、明日をも知らぬ凡夫のイノチとなって、一切の光を超えて、三世十方を明るく照らして、今日の一日を真の一日たらしめんと佛は今念仏となりてまします。