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熊本県長洲町安正寺

エコウ3月号第470号
2015年3月1日発行

真宗興隆

光明名号信一念 B

 春のお彼岸、希望に満ちた季節ですね。お彼岸は仏様によって知らせて戴いた世界なんです。総ての宗教は天国を教えます。でも仏教は御彼岸を教えますね。仏教では天国は、迷いの世界の一つに過ぎません。天と観ている基盤は人間の知性にあるからです。彼岸は仏様の視点に立って明らかにして下さった世界なんですね。だからその世界を知るには、人間の知性を完全にフル回転しても到達出来ない世界なんです。其の彼岸を知るには、説かれた教えを聞き開く他に方法は無いんですね。だから御経の始まりは、如是我聞(ニョゼガモン)で始まっています。如是と言うのは、間違いない事実を表しています。是は真を表します。非は偽ですね。是非は真偽を表しますから、仏様の教えつまり、釈尊の説法ですね。其の説法を言葉として書き残されたのが御経ですから、御経の言葉を聞く事によって、彼岸の世界を知る事が出来ます。彼岸の世界は仏陀の世界、御経の言葉はお釈迦様の言葉、この世で私は、この世では知る事の出来ない世界を説く事が出来た。と大安心の心境を阿弥陀経の中で口にしていらっしゃいます。その教えに御出逢いできるのがお彼岸の法座ですね。お彼岸は仏様の世界で何時も此岸に生きている人間凡夫を離れる事なく護り念じて下さっています。それが南無阿弥陀仏の御念仏なんですね。御名号(オミョウゴウ)と言います。「御」は尊敬讃嘆の言葉。「名」は因の言葉、出発の言葉、本願の言葉。「号」は果の言葉、成就の言葉、仏になられた事を表す言葉、阿弥陀如来の名を表します。名は因、号は果、名号は因の名であり果の名でありますから南無阿弥陀仏の名に御逢いすれば阿弥陀如来の出発から阿弥陀如来になられる歴史の全体をこの身に戴く事が出来るのです。いわゆるお彼岸の御働きの中に生まれさせていただく事が出来るのですね。その世界を、親鸞聖人は限りなき光の世界とお示しになります。その光を大無量壽経には十二の名で示されます・それを親鸞聖人は、お正信偈の中に、無量、無辺、無碍、無対、炎王、清浄、歓喜、智慧、不断、難思、無称、超日月の光とお示しになりました。光の中の光で太陽や月や星の光を超えて一切を照らし真実の道理を徹底して知らしめる働きを持って一人一人に認識せしめる働きを持った光、そして消える事の無い光。これを無量光と言い、総ての人を照らすから無辺光と言い、どんな人でも照らすから無碍光と言い、比べ物が無いから無対光と言い、光の中の王であるから炎王光と言い、混じり気なく清らかであるから清浄光と言い、慶びに満つるから歓喜光と言い、一切の人間の分別を明らかに照らし、分別の限界をはっきりと知らしめる働きとしての名を智慧光と言い、それはいつも欠かさず照らし続けるから不断光と言い、思慮分別で理解し得ないから難思光と言い、人智では説明出来ない光であれば無称光と言い、この世界での光は日月を超える光は無いので超日月光と名ずけられて、お彼岸の光の事実をお示し下さってあるのです。その光が南無阿弥陀仏と言う名に込められていますから南無阿弥陀仏の名を称えさせて戴く時、その光の働きの中にある事実として、過去現在未来を通して、変わりない光の中の生活が保障されて、どんなに暗く、どうして良いのか分からない時でも仏の光は、正しい間違いない道を選び取って方向をお示し下さる事に出合う事が出来るのです。その事を、歎異抄に、念仏者は無碍の一道なりとお示し下さってあります。その事実を、御念仏申す人を、天地にまします一切の仏様や神様が一致して尊敬し、護り通して下さってありますから、無碍道と言うのです。