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熊本県長洲町安正寺

エコウ12月号第467号
2014年12月1日発行

真宗興隆

たどり着く処 第十八願 K

 辿り着く処 第十八願と言う題のもと、一年にわたって尋ねて参りましたが、この十二月衆議院議員選挙となりましたね。アベノミクス選挙だと首相は叫んでますが、胸にコン選挙でもあります。延命選挙のミエミエの相を示していますが、聖徳太子十七条憲法に、日域大乗相応地を表明する言葉で埋め尽くされていますが、つまり第十八願は、十七条憲法の第一条の、以和為貴に尽くされ、そのプロセスとして篤敬三宝が述べられています。その理由として、三宝に依らずして、何をもって真の人間世界を建設出来るであろうか、と。聖徳太子は憲法の中で結んでいらっしゃいます。日本で初めての憲法に、世界の平和を見つめて、その先頭にたって日本が和国の実現に立たれた太子の精神を深く身に戴かれて、浄土真宗と宣言なさったのが宗祖親鸞聖人でありました。背法違義(ハイホウイギ)=法に背き義〈道理〉に違(イス=違っている)正しい法、真実の法、それを正法と言い、仏法を表しています。その仏法の精神を表したのが、如来の願い、四十八願で、四十八の中の中心が第十八願です。この願を根本願と言いならわしています、つまり本願の中の本願なんです、それは如来の中の阿弥陀如来唯一佛に依って建てられ完成された願。ツマリ十方衆生、その中に諸仏諸菩薩も含まれて懐かれているんです。その働きの相を御念仏と言い、南無阿弥陀仏と言い。名号(ミョウゴウ)言い、衆生「生きとし生ける物であり者である命の働きなんです」第十八願の心は、如来の真実心が表明されています。言葉として表せば、十方衆生生きとし生きる総ての者に申し上げる。一人残らず総ての人に、至心シシン(総ての人の心の底に至り届いて、信楽シンギョウ(疑い無く喜んで明るく、私の国(阿弥陀佛の浄土)その世界は自然法の世界で、南無阿弥陀仏の名としての声に国の一切を込めて届けて居ますから、名を戴いて聞いて欲しい、聞こえたら頷けたら称えてほしい。その声は私の声なんですよ。称えてご覧。ホットして和らいで、生きる力が湧いて来るでしょう。御念仏のその声は貴方の声と私の声が一つに成っているから力が出るんですよ。佛凡一体と云う言葉がありますが、総ての人と一体になって働いて下さる仏様は阿弥陀仏の他にありません。その約束が第十八願です。第十八願は如来様の御心と御働きが南無阿弥陀仏の声と成って、貴方の耳を通して心の底に届けられて、如来様と御一緒の日暮らしが称えたその時から、ずっと御一緒であった過去の歴史であった御利益が功徳となって、御蔭さまの日暮しが始まります。それを、往生と云うんです。念仏往生とも言います。親鸞聖人は念仏往生を、正定衆不退転の位に住する。とお示しになり、現生正定衆と云う世界を明らかにして下さいました。大経下巻成就の文、「生彼国者」彼の国に生まるれば、と読む未来志向の心を、現実生活に働く真の仏教に顕現して下さったのが親鸞聖人の浄土真宗なんです。彼の国に生まるれば、と読んでいた文字を、「生彼国者」彼の国に生まれん者。と御読みになって、被の国に生まれる事になっている者。と云う意味にとって現生不退、即ち往生。現生、は現実生活を表します。不退は、後戻りしないと云う事で、往く事なんです。往くと云う事は、佛説無量壽経下巻の東方偈の中に、往生と云う事について、「超絶去往生」往生の前に、超、絶、去、と云う字があります。超は超える、絶は絶つ、去はステル、超え絶ち去てて往く、一切の過去の自力分別の生活は、惑いの生活に依る苦しみの生活であり、その一切を棄てて、往く生活、前進する生活を第十八願は責任をもちます。