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熊本県長洲町安正寺

エコウ10月号第465号
2014年10月1日発行

真宗興隆

たどり着く処 第十八願 I

 十月一日は衣替えに、法の日。それぞれの国に法律がありますが、戦争をしてはいけないと云う法律は、世界に日本にだけあります。それが、第九条です。でもこれが危うくなってきましたね。それは、戦争はしてはならないと云うきまりは無くても、戦争は絶え間なく何処かで火ぶたを切っています。その被害を受けているのは、其の日暮しの貧しい民衆の他にありません。仏陀の教えには、殺してはいけない、殺さしめてもいけない。と、釘をうっています。それはイノチを大事にする教えだからです。佛法は、法を大事にする教えだからです。仏法の法は宇宙の真理道理を法則として教えているからです。仏法は智慧の宗教であり、慈悲の宗教であり、往生の宗教です。智慧の宗教は、人間の理性と知性を極め尽くして、深く心理を解明し人間の心の奥底を極めて十識を提示しています。人間心理の奥底に世界を清浄ならしめる法を開示しています。その最初の人物を法蔵菩薩と言います。後に阿弥陀仏と成られた一国の王様です。国の王は、その国の衆生「生きとし生きる全ての生命体の生存権を確保し、生活の安定性を保証する責任があります。その実現を目指す処に、使命があります。それを成し遂げた人、それを阿弥陀佛と言います。その成立に兆歳永劫を要しました。人間の努力等、その比ではありません。そして其の実は、一人ひとりに与えられている回向の法にあります。親鸞聖人が、謹んで浄土真宗を案ずるに二種の回向あり、一つには「往相」二つには「還相」往相は自利。還相は利他。自らと他の一切。自他共に各各安立。これは大無量壽経に述べられて居ますが、一人ひとりが平等に、独立者となり安立する。これが仏教の現実として働き続けている真実道理を表しています。日本の憲法の最初を表現発布なさったのが聖徳太子ですね。十七条憲法。その第一条があの有名な「和(ヤワラギ)を以て「貴(タットシ)となす。絶対平和主義。それは人間の理性では実現不可能なるを見越して、三宝に依れと宣言されます。三宝に依る他に実現するは、不可能と見定められています。その理由を憲法の中に、その他に何を持って、間違いを正す事が出来ようか。と述べておられます。自分自身がそれぞれ、間違いなく真理法則に則って、独立者として生きる所に人間の尊厳性があり、智慧に立脚した、自律性こそ人間の特性である事を証明して下さってあります。其処に阿弥陀仏の本願の慈悲と智慧が凝縮され回向されています。その願こそ、弥陀の四十八願中、第十八願を、法然上人は「王本願」と述べられます。他の四十七願は、第十八願を戴く為の願とされます。また善導大師は、第十八願の言葉は、他の四十七願の言葉に込められているともお示しになります。第十八願は如来真実の精神と只管なる願心が込められて居ます。十方の衆生を平等に無上尊として成就したいと決意しその道を成就し、自らその行となって下さったのです。その行を親鸞聖人は大行とお示しになります。それに対して如来の行以外は総て未完成未熟の行で、自らも他をも巻き込んで迷わせ狂わせ際限なく暗黒の世を形成して行く事となって行きます。世を正常に戻し未来世に光明を懐くとすれば、唯一つ成就された本願念仏の謂われ「義」(イワレ)を聴聞し如来の願心を領受して、有るは佛性と、道元禅師がおっしゃる様に真に存在し、眞に向かわしめる働きとして、現行し続けて在る諸仏称名の願行を聴聞させて戴く時、曽我先生がお示しになる様に、信に死し、願に生かされて行く。親鸞聖人はそれを、前念命終、後念即生と往生生活が始まるとお示しになりました。