ekou
line

熊本県長洲町安正寺

エコウ8月号第463号
2014年8月1日発行

真宗興隆

たどり着く処 第十八願 G

 八月のお盆をお迎えしましたね。お釈迦様の御弟子目連尊者が亡くなったお母さんの行方を捜して地獄の底に落ちて食物もなく痩せ衰えた御母さんの姿に驚き、持前の神通力を以って食べ物を御母さんに勧めますが、形ある食べ物は細くなった喉を通りません。激しい苦しみの姿に為すすべもなく、お釈迦様に、どおしたら御母さんを助ける事が出来るかと一心にお願いをしましたら、お釈迦様の御言葉は「唯一心に聞法しなさい」と云う事でした。先日も私の御寺に信者さんをお連れしたキリスト教の牧師さんがいらっしゃって「この頃世界中が戦の嵐に吹き回されて大変な事になって居ますが、どうしたら平和な世界を作る事が出来るでしょうか」と、尋ねられましたので「自分自身が平和になる事です」と御答えしましたら、「また来ます」とおっしゃって御帰りになりましたが、人間の思慮分別では、世界平和は実現不可能である事は国際連盟の現状を見ても明らかなんですね。どうしたら平和な世界は実現するか。もう既に久遠の古に実現し成就してその道を示して下さっています。その教えが親鸞聖人に依って顕らかに示されています。それが「大無量壽経」なんですね。略して「大経」と戴いていますが、内容は、如何にして平和で清らかで安心してお互いに信じあい喜んで生きる事が出来るか、と心から願い求めた法蔵菩薩様が、当時にあって最も優れた智者と崇められた「世自在王佛」に御尋ねになりました。所が世自在王佛は「それはあなた御自身が御存知でしょう。」とお応えになり、未だ示されていない教えが開かれて来る事を察知して「貴方自身お考え下さい」と、お応えになったのです。所が法蔵菩薩様は「これは大変大事な事で私の思いだけでは極める事は出来ません」「それはオカシイ。真実の願いであるならば、真実が自ら働いて下さるでしょう」そこから法蔵菩薩様の一心なる思惟が始まります。五劫思惟と示されます。総ての国の現状、全ての国の善悪、それは一長一短総てに通ずる心境では無い。総てに通ずる心境は自分の心を基本にすると云う、身を持つ者の固定化、身を離れる事が出来ない所に心が在ります。その心を基本する限り、心を一つにする事など不可能と云う他ありません。仏法は無我にて候。自我を自我で無我には出来ません。一旦願いを起こした真実が途中で止めてしまっては真実で無かった事を証明するばかりです。真実の願いが真実心を証明し、真実を行を持って証明して、真実の信と、真実の行とが成就して南無阿弥陀仏の真実の如来が誕生され、その事を証明する為に、お釈迦様が誕生されたのです。お釈迦様はインドマカダ国の王子として御誕生、出家して御修行。あらゆる生命体の本質を見極められ、真実の精神と実行が、弥陀の本願に開示されて、念仏の行一つに成就の相ある事を釈尊自ら述べられたのが弥陀の三部経で、その他一切の経典は、弥陀一佛に帰せしめんが為のお心、それを親鸞聖人は弥陀の方便と戴かれました。永い歴史を通して、阿弥陀仏の本願は現行されて、私達は御育てを戴いて来たんです。今こそこの事一つに気ずかせて戴かなければ明日のイノチさえ覚束ない人生、人生の要は。我思うゆえに我在り。何を思って我と言えるか。曽我先生が「我は如来なり。されど我は如来に非ず。如来我となりて我を救いたもう。」一切の人を救いたいと立ち上がられた如来様こそ真の我であればこそ四十八願の願いの一つ一つに「我」と名告っていらっしゃいます。その我が南無阿弥陀仏となって、如来し、一人ひとりの身となって煩悩の落ち着かない心に、廣大無辺の浄土の世界を御開きなんです。