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熊本県長洲町安正寺

エコウ1月号第458号
2014年3月1日発行

真宗興隆

たどり着く処 第十八願 AB

 一月廿四日午後
熊本慈光会法話後帰宅途中車自損行為にて、荒尾市民病院に
緊急入院、二十日後二月十二日に退院。以後自宅療養。一週間毎、検査。骨折治癒迄休養となっておりますので二月号発行が大変に遅れ、三月号と一緒になってしまいました。大変ご迷惑をお掛け致しました。四月から何とか復帰出来ると思っております。宜しくお願い申しげます。
           住職 隈部壽春

 表記致しました様に一月廿四日午後一時半、熊本慈光会法話後帰宅途中、自損行為で荒尾市民病院に緊急入院二月十二日一応退院、自宅療養、定期的検診と云う事で、治癒経過を見ている所で御座います。特にその日御昼近くになって、何か変に気分悪くなって休憩中時間が迫って居ましたがトイレに行き、シバラクシテ気分を取り戻し法話に入りましたが、聞いて下さった方の後話でトイレの時間も長かったし声も力が無かったので後で心配して居ました。と云う事で、心身共に疲れ限界を気にしながら御勤めに就いて居ましたが、不思議な現象を捕えて居ました。よく皆さんがおっしゃる、何かあった時、頭の中が真っ白くなったと云う事を聞きながら真っ白くなるってどう云う事だろうとひそかに思っていましたが、車で走りながら、前の景色の色が無くなって白っぽくなって行く現象を感じながら、あ、コレカナ、と思いながら
、大きなトラックの後を付けながら走り、時にその間隔がずいぶん離れているのを感じ、走らせて近ずき、また遠ざかる、その遠近の差を感じながら認識出来なかった処に既に思考力を失い自力の限界を超えて居ましたから既に他力の圏内の出来事に成っていたのです。自力と他力とは離れてはいません。他力本願と云う言葉は御存じでしょうが、他力本願と一つに二つをくっ付ける所に間違いが起きてしまうんですね。親鸞聖人は「他力と言うは本願力なり」とお示しになります。本願力の真実のイノチの働きが無い限り、人間の自力の判断力では人生を全うする事は不可能である事をお示しになったのが、自然法爾(ジネンホウニ)親鸞聖人のみ教えです。 
 行末川を渡り間もなく右折して御寺に帰る。其処までは分かって居た。前のトラックが左折しようとした、ジャー自分は右だ。グワツツー衝撃音で目が覚めた。歩道に立つ樹木を真っ正面にして車が止まっている。見事に体当たり。樹木はへし折られ、裂かれた生木が七、八本突っ立ている。エアバッグは二つペシャンコ、フロントガラスは蜘蛛の巣状にヒビが入り、エンジンは懸っており直ちにスイッチを切る。シートベルトが体にクイイッテとれない。すぐ近くの会社の従業員の方々が寄って来られて、お宅の近くの西辻です。と声を掛けられた。直ぐに電話をと言いながら、御婆さんでは心配されるだろうから誰か他に。の声で携帯を渡しながら中に「壽明」とありますから。と云って他の人がシートを倒してベルトから体を楽にして呉れました。電話に出た副住に事故すぐ来てと連絡。丁度長洲駅に向かって出て行く処だったのを取りやめ直ちに来てくれた。救急車を呼びましょう。私の携帯で連絡をしてもらっても全部出払って本部からの派遣で間もなく到着、テキパキとした処置聞きとり。サイレンを鳴らして荒尾市民病院へ。丁度その日から副住は大学の春休みに入ったと、後で知った。其の時の目の前の樹木の姿は忘れられない。動けばグワラグワラとなる肋骨の音。裂けた生木のナマナマしさ。サア来イと一身に引き受けて下さった如来のお姿を拝見したのでした。その時浮かんだ親鸞聖人の言葉。樹心ハ弘誓ノ佛地ナリ。無意識の時間、対向車の無い時間、樹に向かって真っ直ぐ。モシ樹が無かったら、低い田圃に向かて数回転。如何なっていたのか。