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熊本県長洲町安正寺

エコウ1月号第457号
2014年1月1日発行

真宗興隆

たどり着く処 第十八願 @

 新しい歳をお迎えする事が出来ましたね。それはひとえに一切をお護り下さる。南無阿弥陀仏の如来様のおかげなんですね。道徳(ミチノリ)と言うお同行さんが、蓮如上人の御前(ゴゼン)に新年のご挨拶に参上した時、蓮如上人が「道徳幾つになるぞ、お念仏申さるべし」と、お声をお掛けになりました。道徳はすかさずお念仏を申して幾つになりました。とお答え申したと言う事ですが、一番大事な事を何時も忘れて居る事ですね。一年の計は元旦にありと申しますけれど、私は表に記しましたように「一年の計は一念に有り」としました。一念は初一念とも言い最初の志を表します。少年よ大志を抱けとも言いますが、この頃の世界の情勢を見てみますと大志を抱ける様なご時世では無さそうですね、でもそれぞれの部門において秀でた人達がたくさん出ていらっしゃいますから、やはり自分自身の心底からの欲求に向かって歩まして戴く事ですね。デモどんなに努力しても御縁が成立しない限り完成は無理ですね。しかしそれは終着点に於いての事で、何時が終着点なのかわかりませんね。と、なれば、何時でも今が大事な処となります。昨年の世間の流行語に、「今でしょ」と言うのがありましたが、何処から言われて来たのか知りませんでしたが、私自身何時でも「今」より他に無いと言う思いで満八十七歳を迎えました。坊守は二歳少ない八十五歳。お陰様ですね。今より他に無いと言う事は仏教に示される通りで、阿弥陀経に釈尊は、今願を起こし、既に願を起こし、当に願を起こさん人。又、既に生まれ、今生まれ、当にうまれん人。と言って、何時でも今に立ってお話をして下さってあります。どんなに未来の事を考えて見ても、一挙に未来は到達してくれません。今の一息を抜きにして未来は無いのです。でも今に立って心の底からの意欲「願い」があるでしょう。その願い、欲求。その一点を今に確率する事です。出来るか出来ないかは思案する必要はありません。今の一点に確かな欲求に立つ事です。その今の一息が人生を作り上げて行きます。確かに今の一息が人生の総てです。だから一年の計は一念にあります。一念の念は、今の心と書きます。常に今の心に立つ事です。何時も今変わりなく一つの心に立っていらっしゃいますのが、仏様なんです。だからお念仏と申します。実は佛念なんですね。仏様が煩悩に明け暮れて居る凡夫衆生を先の事は心配するな、どんなに心配してみても明日の事は確認する事は出来ないではないか、私には出来る、永遠なる未来は今に実存するからです。現在の事を永遠と言います。過去は久遠。未来は長遠。現在の一念に過去の一切、未来の一切が働いているからです。その一切の今を智慧光の一心に籠めて貴方を護っているんですよ。と言う心の声が南無阿彌陀仏と言う御佛念で、その一心の願いが第十八願のお心として呼び掛けて下さってあります。そのお心を、第十八番目の願心として、至心と言うお言葉でお示し下さってあります。そのお心を受け取られた天親菩薩が「お釈迦様、私はお釈迦様の一心と阿弥陀様の願いの一心に護られて永遠に変わりない真実の一心を戴く事が出来ました。仏様の一心に護られて私は一心を失う事なく、仏様の一心の中に護られて一息一息をありのままそのままに護られ生かされて、親鸞聖人が一念の信とお示しになった、法然上人が王本願とお示しになる第十八願の阿弥陀佛の一心を、南無阿彌陀仏のお念仏の一声に戴いて、十方衆生の、み親となり、今現に一人一人の身と共に、行じて下さっていらっしゃる我を憑め、我が名を称えよ、と呼び掛け下さっているお心をお尋ねして参りましょう。