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熊本県長洲町安正寺

エコウ11月号第455号
2013年11月1日発行

真宗興隆

往生浄土 J

 十一月お霜月と敬意を表してお迎えする御正当、親鸞聖人の報恩講法要が勤められる大事な月ですね。浄土真実の宗教。浄土真宗を開顯し十方衆生の救いを自ら証明し、その世界を文類としてお残しくださった大いなる御恩はそれこそ骨を砕きても報じなければならない程なんですが、中々に報じがたき御恩知らずの此の身がありますね。往生浄土。浄土往生。どちらにしても、本来に外れたこの身に、本来からの働きに出会って、本来に帰らせられる相(スガタ〉を往生浄土と示されて来るわけですね。往生と言う事は浄土の働きを表します。浄土の働き無くして往生はありません。往生は、雲霧之下明無闇(ウンムシゲミョウムアン)この世は闇と表現されます。一寸先は闇です。どんな知恵者も明日の事は定かではありません。この頃の自然現象の荒れようは、それこそ地獄其の物でしょう。測候所始まって以来初めてと言う驚きの現象を誰が予見したでしょうか。釈尊は初めに、真理として、第一に諸行無常を挙げられました。一切は常に変化して止まない。昨日と今日と変わりない。とケロリとして居れるのは認識の甘さと神経の鈍感さを表しています。一切は瞬間に変化しているのです。原子下の世界。常に運動し続けています。それは一切を正しく活かさんとして躍動しています。それを知らずに原子力を熱電動化し、電子エネルギーとして素晴らしい発見として有頂天になっている矢先、取り返しもつかない程の罪を未来の人々に残したのではないでしょうか。それを第二の真理に、諸法無我とお示しになります。一切は人間の知恵才覚で出来上がっているのでは無いと言う事です。ビッグバン発生以来の宇宙現象は、自然現象として、自然法に則り間違いなく生成形成されて来ました。水は下に下り、火は上に上り、地水火風は空間に抱かれ、ヒッグス粒子によって制御されて形成を保ち、一切の生ある物、互いに生を分かちあっている現状を、我が物顔に、自分の支配下におこうとする自己保全の権力欲の発露が、人間世界の今日の状況では無いでしょうか。正常化の道。それは自力我執の扉を開いて、真実の精神開発の他には道はないと言う処に、自然界の法則があります。それを親鸞聖人は「自然法爾」(ジネンホウニ)とお示しになりました。自然(ジネン)と言うは人間の計らいを超えた働きを言い、法爾(ホウニ)と言うは、法則の働きを言い、それは仏陀丗尊が示される教法。自然本来の意志、意欲、一切世界に働き続ける終わる事無き永遠の願い、それを阿弥陀の本願と示し、その本願の働き其の物を南無阿彌陀仏と言う一句一言に成就して下さった言葉の心を聞く事が人間最後の仕事である事を表して、蓮如上人が後生の一大事の因縁とお示しになります。大無量寿経は「聞」聞無量寿経。観無量寿経は「観」阿弥陀経は「称」無量寿経。「聞観称」と浄土の三部経は大事な人間の最後の問題をお示し下さってあります。観は心を見る事を表してあります。聞は聞く事ですが、本当に聞かねばならない事は何か、一切は自己を離れてはありません。仏教は自己に徹せよと教えます。人任せでは何事も成り立ちません。自己本来の意志は何処にあるのか。それは根本本願として、一心に清らかな意欲を持って歓んで生きて往きたい。と言うのでは無いでしょうか。観と言うのは本当の物を見たいのでしょう。其れそこに仏様がいらしゃいます周りに又貴方の命となって一緒に働いて下さってあります。それが阿弥陀様であり、ご先祖様でもあります。その全体の働きを一句一言「南無阿彌陀仏」の言葉に表してありますから、お念仏のそのまま往生浄土の現実を示して下さってあります。