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熊本県長洲町安正寺

エコウ7月号第451号
2013年7月1日発行

真宗興隆

往生浄土 F

 七月に入って、前の半年の去ってゆく速さに驚いた事ですが、無常迅速は常なる運行とは言いながら、天候の激しい変化に心奪われ、あっという間の月日の流れに、仏法には明日と言う事無きなり。と言う蓮如上人の言葉が思い出されます。今日の一日にイノチをかける所に仏法がありますね。昨日は既に過ぎ、明日はまだ来ない。今当に来ているもの、それは今当に現来している今日の一日。「今日(コンニチ)」の尊厳性に目覚めた阿難尊者。目覚めさせて下さった釈尊によって開かれた世界が、大無量寿経の本願名号の世界ですね。その世界は久遠の世界から尽未来際までも覆い尽くして、変わる事無き真実の道理を開き、常に行ぜられている真実の道が示されています。親鸞聖人は、初めて、真実の経は大無量寿経是れなり。と顯開されました。七月は七夕にお盆と言う行事がありますが、その真意にまなこを開く事無く、自己満足に終わらせてはいないでしょうか。その行事に参加して、自分の願いを表現する事も無駄ではありません。仏様は既に人の心に寄り添って、「如意(ニョイ)」衆生の意の如し。それだけでは如来の意味が不十分です。もう一つ、如来の意の如し。如来様は衆生の心に従いながら、真の願いを届けたいと行じて下さっている行が、親鸞聖人がお示しになる大行。如来様の行。如来様の命懸けのお働き、身と心を尽くしてのご苦労の声の響きが、南無阿彌陀仏の大音なんです。世界に響きわたっているお声です。その事を大無量寿経には、「正覚大音響流十方」(ショウガクダイオンコウルジッポウ)全世界に響きわたっているイノチの声。声は音声(ネイロ)微塵世界(ミジンセカイ)に満ち満ちている真実の意志。衆生の移り変わる心の中にあって、変わる事なく、真実心を喪失せしめない様に働き続けてくださっている事実が南無阿彌陀仏のお声なんですね。親鸞聖人はお念仏は仏様のお声。私たちは、そのお声を聞く。お声を聞いて、そのお心を尋ねて行く事が生涯をかけてのお仕事なんですね。煩悩成就の身でありますから、煩い悩みの日暮し、人生は苦なり。四苦八苦は既に仏陀の教説。その苦を抜き、喜びを贈る所に如来の永遠の願いがありますその願いは成就しています。苦悩のなかにあって、喜びを失わない行、それが現実の苦悩の中にあって、苦悩を背負いつつ、衆生の苦悩を一身に引き受けて現に行じ尽くして下さって、いらっしゃるのが因位、法蔵菩薩様でいらっしゃいます。果位の阿弥陀様は、私の身となって、因位法蔵菩薩様となり、私を引き受けて下さっていらっしゃいます。それを清沢先生は、私は無責任と宣言していらっしゃいますが、決して責任逃れではありません。実際私たちは、自己の責任を果たし得るでしょうか、毎日の生活は無量の恩恵を受けて成り立っています。何のための恩恵か。一切の事物の存立は完全に活かさんとするイノチの願いの他にはありません。その願いを弥陀の本願と言い本願成就して私となって苦悩の私を背負い完全に私を行じ下さってあります。私と成りきっていらっしゃる名音(ミョウイン)を、南無と言い、帰命と言います。阿弥陀は、智慧慈悲の行体、佛は如来を表す名ですから、南無阿彌陀仏は、天親菩薩は帰命尽十方無碍光如来(キミョウジンジッポウムゲコウニョライ)  と讃言して、その働きに従ってお釈迦様のお心に従って、お浄土への道を身をもってお示し下さったのですね。お浄土への道。既に如来して下さった法蔵菩薩と共に歩む、阿弥陀の因の働きによって、往相(浄土への道)、往生浄土の道は今日只今の全日常生活の中に成就し尽くされている事の、本願力回向の真実を、お聞かせ戴く他にありませんね。