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熊本県長洲町安正寺

エコウ4月号第448号
2013年4月1日発行

真宗興隆

往生浄土 C

 承安三年四月一日。親鸞聖人はお生まれになりましたね。お釈迦様は四月八日。共に花開く四月の御誕生。一切は華開かせんと、世にイノチの姿を表しています。何のために生まれて来たのか、何のために生きるのか、人は皆思わずに居れません。その事を明らかにして下さったのが、お釈迦様と親鸞聖人ですね。まず釈尊は、「天上天下唯我独尊」と。人間誕生の尊さを宣言なさいます。それは世の真理を発見し、真理に従って生きる尊さに、人間誕生の意義を示し、その通りに生きられたのが釈尊であり、親鸞聖人でありました。生まれて生きる。そこには、生命の大いなる力があります。生はイノチの根源を表し、命はイノチの運行を表します。生まれて生きる。それは誰の力でもありません。イノチそのものの力です。父と母との働きも個人的な物ではありません。根源的なイノチの働きです。自分の力で子供を産んだのでもありません。命懸けで子供を産む情景がテレビで放映されたりしますが、其処にはたくさんの人の手を借り、見守る人の願いが凝集されています。実際に産もうとしている母親の力、でもその母親を産んだ母親の力、遠くそれはイノチの根源に帰って行きます。その人が今生まれんとしている。世界にたった一人。その一人に、無限の知と愛と力が込められています。その時と処と環境に生きる力が与えられています。たった一人の世界、でもそれは全世界に通い合う全生命との交流を約束された広大無辺のイノチを賜っている事を忘れてはなりません。
 其処に弥陀の本願があります。全宇宙に生きとし生きる者よ、真実に目覚めよ、イノチにはイノチたらんとする命がある。一切を我とし、平等に最高のイノチを発揮させんと働いている力。それを至心と言います。純粋な一心です。佛性とも言います。涅槃経に、一切衆生悉有佛性「イッサイシュジョウシツウブッショウ」と釈尊はお示しになります。一心に歓んで生きよ。貴方でなければ出来ない事が無限に今委ねられています。その声を聞いて生きて下さい。自分の思いで、分別で生きようとすれば偏った方向に傾いてしまいます。道を間違えてしまいます。親鸞聖人は「本願召喚の勅命」と、仰せになりますが、我を憑め、我が名を称えよ。と呼びかけ、その声となって一人ひとりを護って下さってあります。静かに手を合わせ、南無阿弥陀仏と称えれば、清浄真実の願力が無明煩悩の闇の中に働いて不思議にも、間違いない道に立たせて下さって、ァ 善かった。と、慶びの心が開かれて来るのを感じますね。
 瞬間瞬間に間違いなき事実を生きている事を右脳は左脳に伝え続けているんですが、左脳の分別は、純粋なる真実を受け取る事が出来ず、喜怒哀楽、「キドアイラク」憂悲脳苦「ウヒノウク」煩悩の分別に任せてしまい、方向を見失って、暗黒の世界に自ら入り込んでしまい、折角の人生を虚しく過ぎて、真実の智慧と、真実の慈悲の如来の働きの中に在りながら知らずして日を送る事になれば、如来の悲しみはお大いなる悲しみとなって、目に見えない仏様方のお力添えを無にしてしまい、申し訳ない事となって、如来真実の願行は愈深く染み渡って、二重にも三重にも囲んで大悲の願力は働いて下さるんです。千の風になって広い大空を吹きまわったりはしません。何時も何処にあっても、貴方と一緒。四六時中、離れる事はありません。仏様の事を如来様と申します。如は真実。来は、来て下さって私を見守って下さってあります。南無阿弥陀仏は、その働きの精一杯の、仏様のお声なんですね。南無至心帰命礼。