ekou
line

熊本県長洲町安正寺

エコウ3月号第447号
2013年3月1日発行

真宗興隆

往生浄土 B

 春のお彼岸の月を迎え、お彼岸の声を聞かせて頂く幸せは、何に例えようもありませんね。無上の幸せと言うべきでしょう。何故かなれば、天候にしても緩やかならず、激しく暑く、激しく冷え込み、隕石はソビエエトに激突し大量の人的物的被害を受け、又北国には豪雪に見舞われ、末世そのものの現状ですね。中国の曇鸞大師は、末法濁世の様相を@虚仮A輪転B無窮。とお示しになり無佛世の衆生、いわゆるお釈迦様の様な智慧慈悲円満な人に接する事の出来ない現代に於いて、間違いなく正道に立つ事の出来るのは本願力による他に道はないとお示しになり、天親菩薩の浄土論を註釈なさった論註に詳しく述べていらっしゃいます様に、凡夫は、何処までも虚仮であり、輪転して、無窮。永遠に窮まりなく、真実に背を向け愈、果てしなく地獄の様相は重なりあって、家屋の中で銃を乱射し、車は人を乗せたままブレーキが利かずガードレールを突き破って電車の線路上に転落、人身事故を起こす等。世の中の暗闇を、いかにして明るい国にする事が出来るのか、高 史明さんの言葉、二月のカレンダーに。人間とは その知恵ゆえに 深い闇に 生きている。と、ありましたが、全くその通りですね。社会を明るくする運動は戦後続行されているにも関わらず明るさは全く返って来ない。愈闇は深まるばかり。此処にイノチの悲しみがあります。純粋無漏「ジュンスイムロ」それは純粋未来にあります。阿弥陀の世界。それは、純粋清浄、如何なる混濁も一挙に清浄化する働き、それが本願成就のお念仏のお働きであります。本願は、煩悩に明け暮れ、良き人間関係を念じながらも、意思に反して現状はそれぞれの観見の相違によって、聖徳太子がイノチをかけて念じられた「以和爲貴」和らぎを以て貴しと為す。誰も平和を望みながらも他の見解によって壊される時、平和えの思いも壊されて心は乱れて身の置き場所も無くなって、苦悩の闇に転落し、心身のバランスが崩れ、心痛と身通とが重なって自ら闇を作り身を閉ざして、一人孤独の獄に捕縛されて、生きる力を失い、自ら小さな世界に自身を閉じ込め、自分だけではなくて、縁ある深い身近な人にも苦しみを与えてしまう結果となり、愈ガンジガラメの、抜け出す事の出来ない、深い闇のどん底に転落してしまう現実の中に、阿弥陀仏のお働きがあります。自我意識から一歩もぬけだせない貴方を目当てに、本願をお建てになられたのが南無阿弥陀仏と名告られた法蔵菩薩様です、南無阿弥陀仏の仏様は、苦悩し続ける貴方を見込んで一緒に生きる為に、貴方の身と心と一つになって今にずっと働き続けていらっしゃるのが法蔵菩薩様であります。今にと言う事は、元々最初から真を求めて歩み始めた筈の貴方。世間の知識に災いされて、世間の枠に閉ざされて、自分の知識で自分の折角の能力を無駄にしてしまっているのではないでしょうか。此岸は此の身。彼岸は仏様の身。此岸は彼岸を離れては無く。彼岸は此岸に働いています。国は描いた物では無く、現実に働いているんです。その働きがお念仏です。お念仏してご覧なさい。其処に如来様のお働きが、身に伝わってまいります。親鸞聖人は、歎異抄の中に、煩悩具足の凡夫火宅無常の世界、よろずの事、皆もって、空言戯言、眞ある事無し、唯、念仏のみぞ眞にておわします。と仰せになり、九十年の生涯かけてその義を明らかにして下さったのが教行信証」なんですね。其処には真実が述べ尽くされてあります。彼岸と此岸の心が溶け合って、浄土の世界が今、心身に響き渡っている声が、正覚大音のお念仏なんです。