熊本県長洲町安正寺
エコウ1月号第445号
2013年1月1日発行
真宗興隆
往生浄土 @
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平成二十五年西暦二〇一三年。年は巡って参りましたが、三、一一以来、人間の思考回路を正しく展開しなければ、未来の衆生にとって大変な罪を犯してしまった事に成りはしないか、百考も千考も、続行しなければならないと思います。今までは、昨年の歩みを検討し、加えて新しい方向へと進めて行けば良かった物を、一年の歩みを振り返って、漢字の一字で「金」と表現されましたけど、折角の知的、技能的、能力の場を与える生命の危うさに眼をむけなければ人類全体に責任を持たなければならない場に立たされている現状ではないかと思はれます。
私も八十六歳。八十歳を迎えた時から、釈尊は八十歳で入涅槃。親鸞聖人は満九十年、聖人八十歳の後を尋ねて一年ごとに照らされて聖典を尋ねて参りましたが、晩年の聖人の念仏生活は、ひたすらに仏教の精髄を明らかにしてゆかれた跡がはっきりと示されているようです。大乘の中の大乘。本願に示される十方衆生の現実。今日の世界の中の混乱。自国の見解と執拗なまでの自大思想の固執。これは釈尊一代の教説と歴代の高僧の思索によって隈無く解明されています。その文類をハッキリと整理し心の真髄を解明し一人も漏らさず、凡愚を菩薩たらしめる一大行信の体である「南無阿弥陀仏」の名号の無上功徳の体である事を実証し、文類として残して下さってあります。
南無阿弥陀仏の名は観無量寿経一巻の締めくくりに初めて示されます。諸善万行の及ぶ事の無い、既に行成就された善本徳本の大行である事が、下品下生である定下の凡夫、一生造悪の命終の凡夫をも一挙に往生せしめる願力仏力功徳の体の名号。親鸞聖人は真実難信之法とお示しになります。真実の法則を表す名なんです。名其の物が、一切を真実の方向へ展開向かわしめる能力を持った名であります。十方衆生を一人残らず、成仏せしめる働きを持った名であります。誰かが名づけた名ではありません。働き其の物が自ら名乗りを挙げた名ですから、その功徳を戴いた人に自然に聞こえて来た名で有りましょう。釈尊自ら、我この利を見るが故にこのように説いているんです。とおっしゃっておられます。親鸞聖人は、正信偈の中に、応信如来如実言と示されて、如来真実の教法は、大無量寿経であるとお示しになって、仏教三千年の歴史を通して、七人の高僧によって開顯された仏道。それは本願の名号に依る世界の転開それを即得往生とお示しになりました。即は即刻をあらはします。南無阿弥陀仏の名に依る生活が始まると言う事です。 | |