ekou
line

熊本県長洲町安正寺

エコウ11月号第443号
2012年11月1日発行

真宗興隆

至心回向 J

 御霜月と云う言葉には、計り知れない命と願いが込められています。勿体なや祖師は紙衣の五十年と云う、お東門主の御歌が残されていますね。私達無明煩悩(ムミョウボンノウ)の最中に明け暮れる身となって道を見出して下さった聖人の御恩は、恩徳讃に歌われる様に、身を粉にしても、骨を砕きても、尚あまるものがありますね。それこそ生涯を通して明らかに戴き続けなければなりません。それは至心に回向せしめて下さってある事柄だからなんですね。如来の至心は、無明煩悩(ムミョウボンノウ)の泥中(デイチュウ)に沈んでいる私達凡夫(ボンブ)を光明の広海に浮かばせんがために泥中の身となって自ら共に光りを浴びる波の上に浮かばせて下さったのが、み教えに遇う事になった事実の上に確認されてまいります。教えの光に遇う事によって、初めて真実の理に暗い事実にきずかされます。キリストの人達の祈りの中に、神よ許したまえ、彼は知らざればなり。とありますが、理に暗い知識の中にある苦悩の衆生を見た智慧者は、真実の世界から身を挺して苦悩の身となって共に真実の世界に目覚めさせて下さった働きを如来様と言い、その働きその物を回向と云って、自然の用(ハタラキ)の他力を体得させて下さる所に、佛力が凡夫の身に現れて、如来の功徳を戴き、威徳廣大の利益を戴く者として下さって、今現に如来と?なる生活をさせて戴く所に、如来二種の回向の功徳を戴きながらの日暮しを、即得往生とお示しになり、正定聚の位、またの名を不退転と言い、如何なる事が起きようともその状態に変りがないそしてまた、何時人生が終わろうとも完全なる人生の終了。大涅槃を超証する事を確認して下さったのが親鸞聖人の大事業でありました。和国の教主聖徳王。十七条憲法を制作し、真の仏法と政治を一つにした、真の和国。浄土を荘厳した、政治の実現を願われた太子の心を、釈尊の再来として、心から仰がれた聖人は多くの讃仰の歌を残しておられます。家庭を大事にし、国を思い、民を思い、如来の本願そのままを光と仰ぎ、自ら観音と名乗られたように、慈悲そのままの身を持って政治の場に立たれた相を、人の在るべき姿と仰がれたのが親鸞聖人でありました。聖徳太子は、真実の法に遇われて、世間虚仮を実感し愈々唯佛是眞を確認されました。なればこそ、三宝を敬え、三宝を敬い従う他に人間の間違いを正す道なしとまで、憲法に宣言していらっしゃいます。その理は何処にあるかと尋ぬれば、弥陀の本願にあります。諸仏菩薩はひたすら十方衆生の苦難を除き、平安なる生活を与えたいと望みながら、その因果が見出せずに成果を得ずに在る時。本願成就の阿弥陀仏に出遭い、その成就の道。行。とその精神にうたれ、讃嘆し護念し称賛し自ら帰命し、その因果を憶念し自らその行信に立って衆生を導いていらっしゃいます。十方諸佛は十方衆生となり共に苦悩し共に励み共に如来の一心に帰し一息一息を法蔵菩薩の願行成就の音声である、南無阿弥陀仏の眞言に帰し、?なる道に立たせて下さるんですね。其処に至心に立たせて下さる道があるんです。それがせしめたまう道なんです。其処には目に見えない自然の躍動があります。一切の関係を超え。一切の差別を超え。平等に清浄安穏の世界に住せしめんとする成就の行信。南無阿弥陀仏の音声。如何なる世界にも届く大音声。しかも清らかで一点の曇りもなく、如何なる暗黒にも光を届け、力落ちしても柔らかく立ち直おらせ、過去一切に光を当て、その光は其の侭未来から働きかけてくる。清浄平等真実の行信は一刻も休みなく、一切を包んで真実ならしめんと働き続ける。名号自然。