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熊本県長洲町安正寺

エコウ9月号第441号
2012年9月1日発行

真宗興隆

至心回向 H

 宇宙規模で大気圏内の変化で、測候所観測、始まって以来の、状況が発表されて来ましたが、真夏の御盆を過ぎて、秋の御彼岸の時を迎えさせて頂きましたね。今月の言葉で申し上げましたが、御彼岸は仏様の世界。智慧の世界を表しますね。仏法は智慧の世界を総ての人に手渡して行く教えなんですね。釈尊は人間のあらゆる苦脳の因を解明し、其の因を抜き取る法を明らかにして下さいました。それは、阿弥陀仏の本願力による、「聞法獲信の法」釈尊は出家以来、苦脳する衆生の一人一人の身心と同体体感し、心身の根低からの願いが、心身を開いて行きました。其処に、暗い煩悩の世界と、一つ一つ解き明かされた光の世界。光と闇の二つの世界は、釈尊の内心に於いて一つである事の発見に、闇は小さな孤我執着の世界。光は全世界に遍満する自力を超えた世界。それを法と認識された所に、仏法があります。その法の心は、一切の事物の中に働き続けられている事の発見が自然法と云う大いなる他力。私と貴方。我と彼。単なる物の自と他に立つ他力では無くて、一切の事物の根幹にあって、根幹を成立せしめている物。一一の事物の力では無くて、一一を超えて一切に平等に働いている総てに働き続けている力を、他力と云ってるんです。それが本願です。自力は、我が力。他力は、他人の力と云う相対世界の知恵の世界を超えた、人知の小知に対し、大聖釈尊の智慧。一切を摂取して安らかならしめんと云う、大慈大悲の精神から発せられた声ナーム。ヒッグス粒子の声と言っても良いでしょうね。「十方微塵世界の念仏の衆生」と云う親鸞聖人の御和讃がありますが、十方微塵世界。あらゆる総ての世界の一切の事物は、この働きを受けて、除かれた物は一つも無く、それによって在らしめられて平等に生かされている事の認識は、我が力にては不可能である事の認識を他力と言います。他力と云う認識自体は自力ですが、他力と云う認識を与えた働きは自らの働きによるものでは無くて、それこそ我が力では無かったと云う態度の変革なんですね。心理学のユングの言葉に、一大変革をもたらす物は、各々の思慮分別では無くて。態度の一大変革に依る他に無い。と云っています。自力の心を翻して他力をたのみたてまつる心は、自力の心を翻す力は、自分の力では不可能なんですね。煩悩具足の身は、煩悩によって成り立っている身ですから、煩い悩む心から一時も離れる事は不可能なんです。だからこそ阿弥陀仏は特別の願を立てられました。何とか努力すればなんとか成る。それには限界があります。佛に成る教えこそ仏教なんです。佛になると云う事は、真実の精神に立って、真実の心と実践を通して一切の事物を捨てず、一切の事物と共に生き、一切の事物そのものに同じ認識に立たしめんとする働きを阿弥陀如来の回向と申し上げます。阿弥陀如来の体は一心。一心を信と言います。信は眞でありますから、疑いは無く、一心の信を凡夫の疑心の中で働き続けて遂に発現せしめて下さった心が御念仏の心ですね。念仏申さんと思い立つ心。理屈なしに南無阿弥陀仏とお声に出す時。仏様と凡夫が一体となって、ほとけさまに抱かれた凡夫の心は摂取不捨の実感を頂きます。南無阿弥陀仏は阿弥陀様のお声、真実精神のイノチのお声。その心と働きが私を包んで生かし切っていらっしゃいます。それは、今に始まった事ではありませんね。弥陀成仏のこのかたは今に十劫をへたまへり。御和讃に頂きます様に。久遠劫より今日に至るまで一時も弛む事なく汝と呼びかけて真実の精神が絶えない様に護り通して下さって在る世界こそ御彼岸と名のって下さる教えなんです