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熊本県長洲町安正寺

エコウ5月号第437号
2012年5月1日発行

真宗興隆

至心回向 D

 満九十年の生涯を全うせられました親鸞聖人が八十五歳の時の二月九日朝虎の時。今の時刻で言えば朝四時頃ですね。夢をご覧になりました。仏様からの声が聞こえて来たのです。聖人の生涯は何時でも今。三世を通した、いわゆる過去も現在も未来も何時でも何処でも誰にでも真実に生きる道は何処にあるかと云う事を尋ねての歩みで在りましたから、寝ても覚めても何時もどんな時でも心の底からの願いに生きておられたのです。大事な問題は夢の中に解決を戴いて居られたのです。比叡の山を降りるか止まるか、法然上人を尋ねるかどうか、結婚に踏み込むかどうか。その基本になっていたのは、自己自身が人間として、特別な地位存在ではなくて、いつの時代何処の場所でも普通の人間として正しい生き方はどのように仏様は教えて下さるのであろうか、と云う事でありました。聖人八十五歳の時と言えば九十年の人生でありますから最晩年。後五年で終えられる時。学問修行、流罪。関東伝道。浄土の真宗を顕かにせられた「教行信証」の完成。各種の文類、著作を著わし一応為すべき事は終えたかに見えた八十五歳。親子の間に亀裂が起きたのです。その亀裂も、一番大事にして来られた仏法の問題。それも仏法の根幹である本願の事だったのです。親子であれ誰であれ、誰にでも一番大事な自己自身の問題。「弥陀の本願信ずべし、本願信ずる人は皆、摂取不捨の利益にて、無上覚をばさとるなり」と云うお声をお聞きになったのですね。親鸞聖人が法然上人をお尋ねになった時は「学問もいらず、修行もいらず、唯念仏申さばどんな人でも間違いなく浄土に往生して佛様になれる。」と云う教えでしたから忽ち、位の高い人から武士商人、百姓、老若男女の眼を開かせ、仏様の護りの中の日暮しに、明るい日暮しの日常を取り戻し、新しい世界の発見に、民衆の中に喜びの世界の生活が開かれて力強く生きる民衆の姿に危機感を持った従来の仏教界からの反撃が激しくなって、念仏門の解散を求める運動が盛んになって居た状況の中で入門なさった親鸞聖人の覚悟は、たとえ火の中であろうとも真実を求めると云う求道心は燃えていたと云う事に尽きますね。五月は憲法記念日。みどりの日。子どもの日と続きますが、先ず憲法記念日。日本どうなっているんでしょう。この文を書いている途中で、近くの御門徒の伊藤さんのお家に御参りに出かけまして、帰りがけ、目の前に掛けてあった肥後狂句。「赤信号、沈没しよる、日本国」日本人の誰もが気になっている事ではないでしょうか。この歌を思いながら御寺に帰る途中、頭に浮かんできた言葉に、「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙無きや」と云う小野妹子が携えて行った国書。それを読んだ煬帝の返書は感情的に面白く無い物であったようですが、聖徳太子の思いは浄土の世界に近い国としての尊敬の思いがあったのですが、理解されなかったようですね。そこでこの紙面に取りかかった時、思い浮かんだ言葉が、「赤信号、日入る国の、再発見」観無量壽経の中に、お浄土の世界と仏様のお心に遇うには、先ず夕日を見、日の沈む彼方の世界に、全ての者が平等に明るい光の中で喜び会える世界がある事に目覚めてほしいと云う願が、釈迦牟尼仏陀の説法に表現されて居ます。それぞれの国に憲法がありますが、御浄土にも憲法があります。それが阿弥陀仏の本願です。四十八の条文として表されています。その国の世界と心を戴いて生きられた天親菩薩は、阿弥陀仏の心を一心に説かれたお釈迦様の一心を戴いて、今生きている皆と一緒に、一心に、一心の世界に生きて行きたいと願われました。