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熊本県長洲町安正寺

エコウ4月号第436号
2012年4月1日発行

真宗興隆

至心回向 C

 四月八日は、御花まつりとして親しんで来た。お釈迦様の御誕生日ですね。淨飯王の皇太子としてお生まれになった悉達多太子。幼小より情感豊かで、物事の真相を明らかにしなければ、と云う責任感に溢れ、結婚し、長男が生まれて間もなく、国王となる身分を前にして国とは、人生とは、限りなく湧いてくる問題の解明を求めて出家、入山(ニッセン)現在では上山(ジョウザン)今日の思想混迷を見、激動の親鸞を新聞に連載した五木寛之氏が、下山の思想と云う本を出版されましたが、釈尊の下山、法然。親鸞。道元。日蓮の下山とはちょっと離れているのでは無いかとおもはれましたが、大事な問題ですね。もともと釈尊の出家は、一人の覚醒が全生命体の成就を期したものでしたから、自ずから下山の相として表現されて来ます。其のことが仏教の基本となって来ます。八十年の生涯を終わられる時、遺言として残された言葉は、「自らを拠り所として他に依ってはならない。真理を拠り所として他に依ってはならない。私は体は無くなっても、念(オモイ)は、イノチを生きるものの傍から離れる事は無い」と、お示しになりましたね。つまり一切の生命体の根源からお生まれになった御方。眞如法性(シンニョホッショウ)から姿を表された方、如来様なんですね。二月十五日涅槃会。八十歳で亡くなられた釈尊は横になって終えられた沙羅双樹(サラソウジュ) の許に殆どの虫、鳥、動物達、漏れなく参集して、生命の尊厳と独立の教言の成立を讃嘆して、去るものは無かったと言われておりますね。その教言の編集に力となったのが常に御傍に侍って聞き洩らさなかった、多聞第一と言われる阿難さんが経典成立の要となって活躍しておられますが、阿難さんの驚きが経典の要となって伝えられたのが、親鸞聖人が真実の教として戴かれたのが大無量壽経なんですね。其処には阿弥陀仏の本願が説かれてあります。そしてその本願は成就して、釈尊自体が成立して生まれ変わって如来様其のままの歩みとなって行くんですね。詰り伝道の旅です。八万四千の門が説かれて行きます。八万四千と云うのは、人間意識の全体を表します。その全体のどれを取っても、真実の働きから離れる物はありませんから、生活の全体が真実の照射から離れる事が無いのです。真実は如来なり、如来を真実と云う。と、涅槃経に述べられます。釈尊が法華経に久遠実成(クオンジツジョウ)を説かれます。私の本体は遠く古に遡ると云うのですね。実はそれは無量壽経に説かれた。十方衆生の覚醒を願いその願いの完成された意識体を名言に成就された南無阿弥陀佛の如来様その者を表していますから、実はお釈迦様は阿弥陀仏の生命の発現だったのですね。親鸞聖人はその事を和讃に、久遠実情阿弥陀仏 五濁の凡愚をあわれみて 釈迦牟尼佛としめしてぞ 迦耶城(ガヤジョウ)には應現(オウゲン)する、と、うたっていらっしゃいます。阿弥陀仏の本願力に依って阿弥陀仏の現実の相を身を持って表し教え歩まれたのがお釈迦様だったのですね。これはそのまま貴方達の現実相なんですよ。と、お示し下さったのです。真実の仏教を求めて比叡の山を降りて、十方衆生の現場に立って、本願こそ人間本来の精神である事を実証しながら、相反する現実の相を見ながら如来の大悲は常に我を汝と呼び続けていらっしゃる事実を、如来常住(ニョライジョウジュウ)如来真実と戴き続けて、親鸞はいつも貴方と一緒ですよと、叫び続けていらっしゃる姿そのままが如来様のお姿であり、仏様になられた一切の御先祖様方のお姿でありますから、唯、南無阿弥陀仏と、御念仏申す処に、倶会一処の世界に、生まれた意義があります。