熊本県長洲町安正寺
エコウ1月号第433号
2012年1月1日発行
真宗興隆
至心回向 @
|
新しい年、西暦、佛歴、それぞれに変って来ますが、現に今、日本に流布している名称で言えば、平成二十四年の年を迎える事が出来ましたね。昨年は親鸞聖人七百五十年の御遠忌の年で三月の法要の始まりに、東日本大震災に始まり、それは又、原発事故を引き起こし、年を越し、何処まで続くヌカルミゾの歩みの新年を迎え、此処で心を翻し、眞の宗教を明らかにしなければ法然上人八百年。親鸞聖人七百五十年。の御縁にお会いしたとは言えないのではないでしょうか。明治天皇が親鸞聖人に「見真」と云う大師号を贈られた心は、真を見極められた大師と云う敬意を表された天皇の心を仰ぐべきでありましょう。人それぞれにその価値観は変わりますが、眞の価値観。〈それは勝手だよ〉と言う声が揚がりそうですが、昨年の一年を表現する漢字の一字は「絆」でしたね。人間と表現されます様に、人との関係の上で、初めて人間が成立します。時間、空間、人間。時と所と世間の上に人は生かされています。時代と世間とを抜きにして個人はあり得ません。しかし。個人を抜きにして時代も世間も存在しないのです。其処に大聖世尊〈ダイショウセソン〉と言われる、仏陀の教えがあります。天上天下唯我独尊〈テンジョウテンゲユイガドクソン〉天にも地にも私はたった一人の人間だけれど、身も心も誰とも変えられない絶対の存在なればこそ、ゴーイング、マイウエイ自己に於ける信念の確立は何より大事な事でありますが、周りの人達の信念を妨げたり、ないがしろに扱ったりしたら其の信念は、信念と言っても、信にも背き,念にも背く事になって信念とも言えなくなってしまいます。萬人に共通する信念。親鸞聖人は、その心を、正信念仏と表し、大いなる著書「顕浄土真実教行証文類」〈ケンジョウドシンジツキョウギョウショウモンルイ〉の中の行の巻の締め括りに、正信念仏偈を掲げ、正信こそ萬人の中に回向された真実の精神で在り、念仏こそ萬人に回向された生活であります。真実の精神は、萬人の心に光を灯し。念仏は真実の精神を基本にして如何なる行為も真実の精神の裏ずけによる行為となって萬人の心を潤し、心は交流し、広い心の世界を現実化し中国の曇鸞大師は、念仏は世界の民族を兄弟の仲にしっかりと睦み遇わせる働きを持ちお互いに信じあう心を与えて下さるんです。これを回向と言います。至心は如来の一心を表し、回向は一心の働き。一人ひとりの中に来て下さった如来様は、全ての人の中の一心と手を取って、共に生きる世界としての浄土(清浄なる世界)を至心なる回向として、今現に行じて下さっている聖なる声が南無阿弥陀仏でございます。 | |