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熊本県長洲町安正寺
エコウ7月号第310号
2001年10月1日発行
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念仏の大道
念仏は真実の人を確保する
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| 九月のお彼岸を過ぎて、十月、実りの秋を迎えました。田圃の稲も順調に伸びて、刈り入れを待つばかりですが、人間としての実りはどうなっているでしょうか。九月十一日のアメリカ世界貿易センター百十一階ビルに突入した航空機テロは、世界にセンセーションな事件として、特にテレビ報道は人々に衝撃を与えました。直ぐに思い出されたのは、真珠湾の特攻隊。アメリカの人達も同じように、カミカゼと表現しておりましたが、形は全く違って、乗客を道連れに、日中では二万人の勤務する人を容する建物であれば、その計画は悪道と言わざるを得ません。ブッシュ大統領が言う様に、文明に対する挑戦で、追い詰められた者の我就の暴発、人間悪の表現を見せつけた物でした。現在NHKの大河ドラマ北条時宗の蒙古襲来の合戦の比では無く、人間知識の粋を集めた科学技術を駆使しての破壊活動(テロ)は人間怒りの到達点を実現したものと言えます。それに対する報復活動、アメリカは世界に発信して包囲網を固めて、テロ絶滅のスローガンを掲げて正義の名による旗手たらんとしていますが、敵も味方も神を旗頭にして、自分の行動を聖戦と号しています。聖戦とは人間悪業の正当化を画する、それこそ神を恐れない人間の傲慢な思いそのものの他にありません。正義(セイギ)は殆ど自己の側に立てられます。人間考察の原理として、自是他非(ジゼタヒ)自分を是(正しい)とし、他人を非(誤り)とする考えが人間思考の基本となっています。どんなに反省して自己を見つめても、見る目が自己の目である限り、徹底して自己の非を発見する事は不可能です。ここに人類流転の根拠があります。過ちは二度と繰り返しませんと言いながら、幾度となく繰り返される現実に証明されています。正義と言う事を仏教に正義(ショウギ)として教えています。攝受正義(ショウジュショウギ)正義を攝受する。正は真実、義は法則、真実の法則に従った物を心身に戴く。では、真実の法則に従った物とは何か。インドの高僧、天親菩薩は、浄土論(願生
偈)の中に、正道は大慈悲なり、出世の善根より生ず。り返しに過ぎません。それを自力と言います。他力はと示されます。正義正道は大慈悲なり。大は一切の人を表します。慈悲は苦悩を除き、喜びを共にする事を表します。安穏を与えるをもって正とす。聖徳太子は十七条憲法の中に、三宝に帰せずんば、何をもってか枉(マガ)れるを直さん。人間の誤りを正しくするには自是他非の対立思想に依る認識では不可能である。三宝とは佛法僧なりと同憲法中に明示されます。佛は釈迦牟尼佛。特に阿弥陀仏を掲げられます。それは釈迦牟尼佛の説法の中心にある法の佛を阿弥陀仏と表され、阿弥陀仏は特に諸佛に無い本願が立てられ成就されて、今、現に実働中と戴かれたからです。それは虚仮なる世間に安楽なる国土建設の基本理念が明示されている事を確認されたからです。でも人間の迷妄理念による暴力には形式上抵抗出来ません。それは深い自覚の世界であれば、一人一人の認識を待つ他にありません。だから阿弥陀仏は今なお法蔵菩薩となって現行中です。法蔵菩薩は阿弥陀仏の因位の姿で、阿弥陀仏に、お出会い出来る私の因位の成就をひたすら念じ続けられてある働きを表します。人間の思考は迷妄の繰佛力、本願力なり。と親鸞聖人は示されます。そこに他力本願と言う言葉がありますが、殆ど誤って解釈して他力本願を、自己の行為を捨てて他人に寄りかかって無責任な人間の姿を想像して否定の言葉としていますが、他力本願こそ人間思考の善なる極致である事を認識すべきです。それを親鸞聖人は雑行を棄てて本願に帰す。と宣言されました。法然上人の唯念仏の教えに会われて、その根源は本願にあり、本願は信念を表す事で、人間の誤認を正して正義に帰せしむる念力を表現している真実の言葉こそ阿弥陀仏の本願であります。その本願と佛力を一人一人の心身に確実に伝える言葉が善導大師がお示しになる願行具足の名号お念仏です。お念仏称えてどうなる、と疑念にかられますが貪欲・瞋恚・愚痴の三毒の煩悩による一切の心識の中に永遠に念じ続ける清浄平等の大慈悲心が揺るぎなく存在し生きている事を証明し認識する働きがお念仏であります。お念仏こそ混迷する世界を正常化する道であります。念仏の大道は此処にあります。 |
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