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熊本県長洲町安正寺

熊本県玉名郡長洲町腹赤 安正寺
エコウ8月号第284号
1999年8月1日発行

生死の問題 

三部 連載A 

 これはトキの卵で、二つ目の卵の中の鳥が死んでいたと言う新聞テレビの報道を見て頭の中に残っていたんでしょうね。正とは何か、死とは何か、これは昨日まで大牟田の方で一泊研修会がありましてそのテーマがですね、そのまま、ありのまま、今に生きる,という事なんですが、そのままの「その」という事は、今までと同じようにという事です。それは無始より今日まで変わる事のない存在の意味を「其の」という言葉で表すんですね。ありのままという事は存在を表します。「存在」のまま,姿形があるわけですね。私達が有ると言ってるのは、姿形を見て有ると言ってるんですね。そのままと言うのは有るという存在している物の本質を表すんですね。見えない壽「イノチ」を表すんです。姿形は常に変わります.所行無常,変化するんですね。
 その変化する中に,本質ですね、「其の」というのは本質を表します.物の本質,私達は物を外側から見て、姿形だけを見て、その物を見たように思っておりますけれども、その姿形をして存在してところの本質中身ですね、変わらない壽「イノチ」「其の」というのは、永遠なる壽「イノチ」を表します。私達が生まれたというのは,身を頂いたという事です。この身を私が頂いた。この身に依って生涯を生かされて行くわけですね.ほとんどの人がこの身を私の物と思っておりますね.私の身、私の手、私の足、「五体不満足」という本を書いた大学生がありますが、不満足は姿形に対する思いであって、その人にとっては,満足に生きて行けるという事を表しているんですね.生まれて今生きている.命の本質は何か、私達が生きるという事は,本質に沿って生きるという所に、本当に生きるという事があるんでしょう。その生まれたという本質が明らかにないので、あれやこれやの思いに責められ,自分の想念に襲われて自分命を絶つんですね。
  先ほどの校長先生の一つの気懸かりは、若い時赤ちゃんを堕ろした事なんです。それがずっと気懸かりだったんですね.退職をして教育機関に再び就職,心の底の問題が蘇って、心霊、霊魂等の本を読んでいる中に、寺院出身の同勤の先生を訪ね、相談なさったようですね.子供を葬った所でお経をあげてほしい、そんな所であげるお経ではありません。と断られて、一人悩み自ら命を絶たれたわけですね。
一切が仏縁ですから、その時真の仏の教えをお伝えして頂ければと思った事でした.一切が仏縁であるという事は、存在の本質を問うという事ですね.本質其の物の名を南無阿弥陀仏というんです.大無量壽経の中に、「聞其名号」とあります。その名号を聞く。その名をもって表す本質を聞く.、何故聞くか、説かれてあるからです.何故説かれてあるか、これ無くしては人間自身の解決がないからです.皆さんと一緒に今聞かして頂いておりますが、これは生死の問題、これは既にお釈迦様が説いていらっしゃる事ですから、それを聞くわけですね。
聞くという事は、聞き開く、開くということは何を開くか.私の存在の本質として見えない身の中に働いている壽、その名の義「イワレ」名義「ミョウギ」を聞く事に依って私の中にある本質が開かれて来るんです.蓮如上人がお示しになる,後生の一大事と言う事ですね。
  後生の一大事と言う事は、生としての最後問題.、永く生々流転して来た生の最後の締めくくり、お釈迦様は生としてのこの身の成就をお説きになったんですね。今生きている身は最後の身である、再びこの身を持つ事はない。この身をもって最後まで生きる。命の本質からの呼びかけを具に聞いて生きる。ここに人生の大事な使命があるんですね。このごろ私の方の坊守がフット「アー今までいろんな事がありましたねー」と感慨深そうに今まで歩いて来た事の有難さを表しますが、人間最後の締めくくりは、歎異抄に往生極楽の道を問い聞く事なりと示されてありますね。