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身体に火が燃え、家に火が燃えている。心に貪欲の火が燃え、家に人間煩悩の火が燃えている。これをお
釈迦様は家宅無常の世界とお示しになるわけです。それも、チョロチョロの火では無くて、盛んに熾烈に燃えて居るんですね。それを、煩悩熾盛と表現されますね。その火宅の家を出て、佛の家如来の家に入りなさいと教えられますね。佛の家を佛家と言います。佛の教えが働いて居る家ですね。「仏家の一大事」一大事と言うことは法華経の中に、如来この世に出でたもうは一大事因縁の為なり・とあります。一大事とは、どう言う一大事か、それは「生死」(ショウジ)と言う事ですね。生きて居ると言う事の中に、老病死と言う事が既にあるという事ですね。老はまだ若いから先の事というのではなくて、既に老になるべきものが若さの中に有るという事なんですね。そこにこの有ると言う事が問題なんですね。何が有るか、病という物も次ぎから次ぎえと出て来るわけですが、長生きという事も、ただ長生きすれば良いと言うものでも無いですね。
長生きすればする程、いろんな病気が出てきますね。その病気も四百死病と言って、ついには死に至る病なんですね。
いわゆる生という物がある限り死は必ずそこに当然有ると言うことですね。道元禅師が仏家の
一大事というは、生を諦め死を諦むるにあり。
諦むるという事はメイファーズ仕方が無いというのでは無くて、明らかに見る、明ら見る、諦めるとなったんです
ね。明らかにみる事こそたった一つの大事な事なんですね。私達はサア一大事となんでもかんでも一大事にしてしまいますが、この頃特に生と死の意味がわからなくなってしまっているんではないでしょうか。若い人だけ生を諦め死を諦むる。
生とは何か死とは何か二三日前熊日の新聞におくやみの記事の中に長洲町で二十八歳の人の死亡記事が載っておりました。若いのにと思っておりましたが昨日御門徒のお家に行きましてそこの奥さんが実は近くのお家で若い人が亡くなりまして、とおっしゃるのでおくやみの記事の事かとお尋ねしますとそうですとの事、病気でしたかとお尋ねしまと、い
え自殺なんですと悲しそうな顔をしておっしゃるんですね。
転々と職を変えて、今度こそと喜んで就かれた職だったんですが、リストラで職を失い御両親は元気で職を持って働いていらっしゃる。若い自分は職が無い。随分悩まれたんでしょうね。兄さんは別に家庭を持って家族共に暮らしていらっしゃる。将来を考えたら、どうしていいのか分からなくなったんでしょうね。時々言っておられたそうです。今度生まれる時は女に生まれたい、男は責任があってつらい。と、女だって責任はありますよねえ。女の方が余程責任がある様に思いますがね。でもやはり本人とすればやりきれない気持ちだったんでしょうね。ここでもし家庭の中で心開いて話し合いができて居たら何とか道が開かれたと思いますね。
若い人だけがそうかと思えば、これは昨日お聞きした事なんですが、小学校の校長をなさった方で定年後公的な教育機関の職に就かれて日々を送っておられた方が自殺をなさったと言うんですね。その朝二時頃まで御夫婦で話しをなさって奥さんの方がもう私休みますと言って床に就かれた。奥さんはいつもの様に朝起きて、朝食の準備をして待っていらっしゃったが起きて来られない、見に行かれたら、姿が無い、やっと探し当てたら自殺しておられたと言うんですね。随分以前から悩んでいらっしゃった事があったんですね。これは何が原因であるかと言えば、若い時奥さんに赤ちゃんが出来た。勿論赤ちゃんは奥さんに出来るんですが。イヤ私はですね、一週間程前に夢をみたんです。私妊娠しましてね、あんまり面白いもんでお昼に坊守に話して大笑いしたんですが、実は男も妊娠出来るんですね。受精卵を腸の中に着床させれば妊娠出来るそうです。その事が頭にあったんでしょう。その赤ちゃんがだんだん大きくなって、あっちこっち足で蹴るんですね、そのうちに胸の所まで大きくなって胸を蹴るんです。サテ困ったちゃんが生まれるのは良いけどお乳がないのにどうしよう、と思って居たら動かなくなったんです、見てもらったら死んでるんです。入院して切開手術となり坊守と二人で困ったなあと思っていたら目が覚めたんです。
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