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熊本県長洲町安正寺

熊本県玉名郡長洲町腹赤 安正寺
エコウ6月号第282号
1999年6月1日発行

生死の問題 

一部 連載@ 

 只今、ご紹介戴きました隈部壽春でございます。二組の安正寺の住職でございますが、この三月まで組長をしておりまして、今回の講師の御依頼を戴きました時に、推進員の二組の代表として出てくださっている城先生から、ズット組報を出しておりましたので、その組報を資料として出してほしいと言う事でございましたが、組長の交替がありまして、次ぎの組長さんが組報を発行しておりませんでしたので、その代わりに二組の門徒会推進員協議会と言う会の方で会報を発行すると言う事で、今駐在教導先生のご紹介がありました様に封筒の中に「門推協報」を入れておきました。
 その表紙に出ております写真は四月に後期教習として、本山に上りまして、推進員が新しく二組の方で誕生した事でございます。そのページを開いて戴きますと、今日の講議概要が出ておりますが、これも城先生がレジュメを示してほしいと言うご要望でございましたので、一緒に印刷しておきました。レジュメに従ってお話さしていただきますが、その時の状態でどうなるかわかりませんが、大体の方向に沿って話を進めていきたいと思います。それと同時に御堂さんと言う月刊誌が入っておりますが、これは私の方のご門徒の方々にお配りしている物です。ご希望があればお送りしたいと思います。
 蓮如上人の五百回忌の御遠忌を縁として、蓮如上人に学ぶと言うテーマで、いろんな研修会が催されておりましたが、本山の御法要は昨年終わりましたが、熊本の方ではまだ勤められておりませんので、学習を重ねて行く事で本日を迎えた事でございます。 講題をという事で、生死(ショウジ)の問題と、出さして戴きました。蓮如上人が生涯かけて御尽力戴いたのは、お文にお示し戴いております様に、聖人一流の御勧化の趣は信心をもって本とせられ候法然上人が浄土宗をお開きになって、その中心になるのは唯念仏と言う事でありますが、唯念仏と言うのは、一切の行と言う物を排して念仏の一行を選択して、選択本願念仏集という法然上人の代表的著作がありますが、法然上人の口述でお弟子が筆記した物ですね。選択本願念仏集。いわゆる念仏一つを選んだという事で、他宗から大変な攻撃をお受けになるわけです。諸行を捨て、聖道門を閣きて、雑行を抛ちて、助業を傍らにして、と言う三選の文がありますが、念仏以外の雑行と言うのは何事かと、相当厳しい反撃があって、ついに流罪、法然上人は土佐の国、親鸞聖人は越後の国へ流されて行かれました。いわゆる法難に逢われたわけです。その事に対して親鸞聖人は教行信証の後序の中に、主上臣下法に背き義に違し、上は天皇から大臣文化人に至るまで、全て邪正の道理を弁えていない。何が正しくて何が間違っているか弁えがない、と聖人は述べておられますね。 その誤りは何処から来ているのかと言えば、信心の問題ですね。その信心を私達の方の信心とすれば、あれを取り、これを取り、全て自分の思いで取捨しますが、本当にはっきりと決着がつくでしょうか、一応こういう事にして置きましょうと言う外にないでしょう。
 その中に阿弥陀仏が阿弥陀仏になる因位の法藏菩薩であった時、本願をお立てになって、第十八願に乃至十念と言う念仏をお取りになって念仏にわが身を収められて、念仏と私はなりましょうと、法藏菩薩・阿弥陀仏の選取、選び取られたわけですね。私達が取るべき物、また捨てるべき物、それは何かと言えば、既に阿弥陀仏が念仏を取り、他を捨てられた。法然上人が選択集に、聖道門を捨てて浄土門に入れ、浄土門に入らば雑行を捨てて正行に帰せよ正行に帰すれば念仏の正定業を専らにすべしと述べられるわけですね、そこにハッキリと選択本願念仏とお示し下さってあります。で、この生死の問題、生まれて死ぬと言う問題こそ仏教の一番根本の問題なんですね。道元禅師が仏家の一大事は生を諦め死を諦むるなり。仏家と言うのは、佛の家、佛の教えの中、家は日暮らしの場所、私達はどんな家に住んでいるでしょうか。煩悩の家の中ですね。お釈迦様がお悟りをお開きになって、はじめて法をお説きになった時、貴方の体の中には火が燃えておりますよ、貴方の家には火が燃えておりますよ。と急いで安住する事の出来る永遠真実を求めよと諭されます。