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熊本県長洲町安正寺

エコウ2月号第290号
2000年2月1日発行

三部の経典

2回 全 連載 

 浄土の三部経は、大無量壽経、観無量壽経、阿弥陀経ですね。親鸞聖人は、それ真実の教を顕わさば大無量壽経これなり。とお示しになりますね。聖人は二十九才まで廿年間比叡の山で学び歩まれた道は、正法と云われる法華の三部経を始めとして、自ら仏道修行の道を行じ証りの世界の獲得の為にたゆまぬ努力を続けて行かれましたが、ついに完成する事なく、未完の場に立って真実の仏道を学ぶ唯一の場としての比叡の山にありながら仏道成就が見られないとすれば、普遍真 実の教えとしての釈迦牟尼世尊の教えは何処にあるのか、この身は仏道から疎外された者であろうか、人間が疎外されるとすれば、それは教えとはならない。廿、年間身を置いた比叡の山には、厳しい修行、深広なる経典の学びはあっても、明日も知れないこの身にはとうてい至り着けない、老小不定の身に即しないとすれば普遍真実の道とは言えない。貴方の命は後十年と聖徳太子から宣告されて今十年そしてまた真実に生きる道ありとも告げられた。その道は何処に、この身と仏道との関係を確かめんと最後の確証を求めて六角堂に百日の参籠に入られます。その九十五日目観世音菩薩の示現がありました。人間が人間のままに日を送る、この外に道無し。そのままありのままの身を道とする事が出来る働き有りその働きこそ阿弥陀如来直々の道である。と、それは親鸞聖人自身の奥底からの悲願でもあり、また参籠そのものの願いでもあり、これこそすべての人間の立ち得る道である。と、聖人は立ち上がり、法然上人をお尋ねになったんですね。法然上人の教えは唯一つ。念仏せよ。と言う事でした。親鸞聖人も比叡の山の締めくくりは念仏一つでした。でも親鸞聖人の念仏と法然上人の念仏とはどこか違って居ると思念されて、それは何処にあるのか、とまた百日法然上人を尋ね聴聞し続けられたんですね。阿弥陀如来の本願は一切衆生に唯念仏せよと仰せられている。我ら衆生の道は阿弥陀如来が既に定めて居て下さった。それはいかなる学問も、戒も、行も、完全なる物は一つも無い。唯自らを良しとして、争い傷つけ共に生きると言う事は永遠に不可能な中に、念仏の道が既に用意されてあった。その事をはっきりと教えられたのが大無量壽経であり、その事を善導大師の導きで凡夫の為に念仏を説かれたのが観無量壽経である事を知らされました。阿弥陀経は、その念仏を十方世界の全ての仏達が賛嘆し勧めておられて、釈迦牟尼世尊も、これで真実の道を説き終える事が出来たと説かれて居る。何処からみても、唯念仏の外に釈迦牟尼世尊の教えは有りませんよ。と説かれる法然上人の姿に親鸞聖人は現実のお釈迦様に出会い得たような思いを抱かれたんですね。師との出会い、仏との出会い、共に生き行く命との出会い、この全てが適えられた時の喜びは何に譬えようも無く、この内実の検証に立ち上がられたのが出世の成就。生まれた意義生きる喜びの発見、それは親鸞聖人自身が書き止められた、建仁 辛の酉の暦だったんですね。それから聖人は浄土の三部経を隈無く学んで行かれます。 時の法然上人の教えは地位や品位や一切の能力の差を越えて人間平等に救われて行く道として唯念仏一つと教え説いてゆかれたんですね。親鸞聖人の常の言葉として、歎異抄には、唯念仏して弥陀に助けられまいらすべし。と、よき人の仰せをかふりて。と、記されていますね。念仏の外には何一つ必要としない。学問も行も菩提心も要せず。と、言う法然上人には学問、行、信仰の世界からの反発は大変な盛り上がりを見せます。その最中(サナカ)に親鸞聖人は法然上人の門に入られるわけですね。泰然自若として変わりなく静かな法然上人に大いなる者の相を仰がれたんですね。もしも学問をし、修行をもして、立派な人になったら真実の世界から遠く隔たった人間となり、真の人間としたいと来て下さった如来様のお心から離れる事になるでしょう。と、おっしゃる法然上人のお言葉から、南無阿弥陀佛の如来の働きの心の深さを感じ取られたんですね。そこから法然上人の唯念仏と言う、み教えから、その中に込められている如来のお心、真実信心、本願のお心を明らかにして行かれるんです。