|


熊本県長洲町安正寺
エコウ1月号第289号
2000年1月1日発行
|
三部の経典 |
|
1回 全 連載 |
平成十一年度、第一回の第二組の門推協学習会として、今日の日を迎えた事ですが、この上立願寺会場に参りまして、かって多久先生が門徒会長をしていらっしゃった頃、市民会館を会場として毎月、聞法学習会を開いて来ましたが、後に文化会館に会場を移し、宗祖親鸞聖人をテキストとして学んで来ました事を思い出しまして、本来的な学習の在り方が此処にあると思っております。今回は門推協幹部会で、テーマが話し合われた中で、三部経・生死・本願・念仏・往生と、どれも大事な問題ばかりですが、まず三部経をお話し頂いて、後は次回に、と云うことで組長さんからの御依頼がありましたので、今回は三部経についてお話しをさして頂きましょう。三部経と云えば、御門徒の方々にとっては、仏事法事の時に、先ず御住職に読経をお願いする時に三部経が上げられますね。三部経は三つの経典の事です。お経はお釈迦様が悟りを開いて後四十五年間にわたってお説きになった教えを聞いて来たお弟子達が編纂し書き残したものを尋ね頂いた人達によって受け継ぎ伝えられたものですね。三部経はそれぞれの宗にあります。 大日の三部経・法華の三部経・弥勒の三部経・鎮護国家の三部経・私達が頂いている浄土の三部経・弥陀の三部経とも云いますが、どれも大事な経典であり、仏の教えであり仏になる道を教えたものであり、仏とは何かを教えたものです。法然上人は浄土宗をお開きになつて、そのより所を三経一論とお示しになりました。三経と云うのが三部経ですね。それは大無量壽経観無量壽経阿弥陀経の三つの経典。一論は天親菩薩がお書きになった三部経を頂いた大事な所をお述べになった浄土論・願生偈ですね。つまり浄土の三部経が浄土宗の大切な経典であり、往生浄土の経典なんですね。浄土の三部経以外の三部経は、自ら行じて、慈悲かぎり無き仏、智慧かぎり無き仏になる教えですね。無限の慈悲と無限の智慧を兼ね備えた仏になる教えですから、その為の行を自分の力で行ずるとなれば、とても不可能と云って良いでしょう。浄土の三部経はそうではありません。大無量寿経には、阿弥陀仏の本願とその本願が成就した念仏が説かれてあります。つまり既に慈悲限りなき仏、智慧限りなき仏が一切衆生の為にましましたと云う事です。その阿弥陀仏の本願は、十方衆生と表されるように、色々な環境と条件の中で生きておりますから、そしてまた、一人一人が関係し合って生きておりますから一人の思い通りには、事は運ばないわけですね。そこで阿弥陀仏は限りなき慈悲と智慧の働きとしての信と行を南無阿弥陀仏と云う念仏となって、衆生の一人一人の中で生きて働いて居て下さると云う事です。大日の三部経・法華の三部経・弥勒の三部経・鎮護国家の三部経・私達が頂いている浄土の三部経・弥陀の三部経とも云いますが、どれも大事な経典であり、仏の教えであり仏になる道を教えたものであり、仏とは何かを教えたものです。法然上人は浄土宗をお開きになつて、そのより所を三経一論とお示しになりました。三経と云うのが三部経ですね。それは大無量壽経観無量壽経阿弥陀経の三つの経典。一論は天親菩薩がお書きになった三部経を頂いた大事な所をお述べになった浄土論・願生偈ですね。つまり浄土の三部経が浄土宗の大切な経典であり、往生浄土の経典なんですね。
浄土の三部経以外の三部経は、自ら行じて、慈悲かぎり無き仏、智慧かぎり無き仏になる教えですね。無限の慈悲と無限の智慧を兼ね備えた仏になる教えですから、その為の行を自分の力で行ずるとなれば、とても不可能と云って良いでしょう。浄土の三部経はそうではありません。大無量寿経には、阿弥陀仏の本願とその本願が成就した念仏が説かれてあります。つまり既に慈悲限りなき仏、智慧限りなき仏が一切衆生の為にましましたと云う事です。その阿弥陀仏の本願は、十方衆生と表されるように、色々な環境と条件の中で生きておりますから、そしてまた、一人一人が関係し合って生きておりますから一人の思い通りには、事は運ばないわけですね。そこで阿弥陀仏は限りなき慈悲と智慧の働きとしての信と行を南無阿弥陀仏と云う念仏となって、衆生の一人一人の中で生きて働いて居て下さると云う事です。
|
|