暮らしの中の仏教語
 
「金輪際」 (こんりんざい)

 「金輪際、悪いことはいたしません」「こんなことは金輪際ごめんだ」。実はこの「金輪際」という言葉は仏教語なんです。仏教辞典によると、私たちが暮らしている大地の最下層の底のことを表します。
私たちが「金輪際○○○」と言うときには、もうこれより他はないという決意や決断を含んだ意味合いで用います。

 この「金輪際」という言葉を聞くと、『歎異抄』にある親鸞聖人のことば「地獄は一定(いちじょう)すみかぞかし」の「地獄」と同じような意味に聞こえてきます。この地獄より下はない。地獄の底に堕ちてしまえば、そこが安心の大地なのだよと聞こえてきます。

 お正月に神社でおみくじを引いたひとがいます。大凶だったそうです。彼は「いまが大凶なんだから、これからはよくなるいっぽうだ!」「おみくじの中から数少ない大凶を引き当てるのは、逆に幸運なんだよ!」と強がっていました。彼ばかりでなく、誰しも大凶がいやなんです。
 この大凶の正体を突き詰めてゆくと、生老病死に行き着きます。
 しかし、人間はこの世に生まれたとき「生と死」を同時に手に入れているのです。誕生は生だけでなく死も生み出してしまうのです。そういう意味で人間は、すでに「生まれる」という大凶のおみくじを引き当てているのです。それも決して吉に転ずることのない大凶です。もともと出発点が大凶なのだから、吉の夢に破れることもないのでしょう。

 ここに「金輪際」おみくじに頼らなくてもよい、生きる勇気があるように思われます。