暮らしの中の仏教語
 
「有無」 (うむ)

 「所詮、有象無象の集まりだよ」などというように、有象無象は世の中にいくらでもいる種々雑多な、つまらない人間を意味する語句です。「責任の所在がうやむやになる」という「うやむや」は、いいかげんなこと、曖昧なことを意味します。また「有無を言わせない」とは、つべこべ言わせす、いやおうなしに、という意味で一般に使われています。

 お釈迦さまの頃の古いインドでは、物質には実体が有るか無いかなど、いろいろな命題をめぐって、有無の論争が展開されていました。つまり、「有耶(うや)? 無耶(むや)?」と問うのです。これに対して、お釈迦さまは、有に固執する常見(じょうけん)も、無に固執する断見(だんけん)も、ともに偏見だとして、中道に帰すことを説かれました。つまり、「有無を言わせない」教えでした。『正信偈』にも「悉能催破有無見」(ことごとく有り無しのこだわりを砕き破る)とあります。

 仏教の語句から一般の日常語になったのですが、ずい分、違った意味になるものです。仏教では、有象無象は「有相無相」とも書き、有形無形の一切のもの、森羅万象をいうのです。