暮らしの中の仏教語
 
「行儀」 (ぎょうぎ)

   少し前までは、お婆ちゃんが小さい子に「お行儀のよい子だね」とか、「ここではお行儀よくしてね」などよく聞いたものです。しかし最近ではめったに聞くことのない言葉になってしまいました。

 「行儀」という言葉は、現在では私たちの立居振舞(たちいふるまい)の作法の意味ですが、もとは仏教語です。
南山律宗の書『四分律行事鈔資持記(しぶんりつぎょうじしょうしじき)』に

 行儀とは行事の軌式を謂ふ。 像末(ぞうまつ)の教を以て行儀を顕さずんば安(いずく)んぞ能く久しく住せんや

とあって、釈尊入滅の後、年久しき時代にはまず戒律あるいは生活・行事のかたちを整えることが肝要である、と述べています。仏教伝来ののち、我国においても「行儀」の語は、専ら仏事の方式あるいは僧侶の行為や動作の作法を表す語として用いられてきました。この「行儀」の語が、僧侶以外の一般の人々の行動にも用いられるようになるのは、現在私たちが使っている日本語の直接の先祖である室町時代の言葉からです。
 御伽草子の『猿源氏草紙(さるげんじそうし)』に

 かの殿のふだんの行儀を委(くわ)しく知りて候

と使われているのが早い例でしょう。以後、とぎれることなく使われ続けて現代に至っています。冒頭に記した「お行儀がよい」はそこからさらに進んで、「よく行儀を守っている、乱れがなくきちんとよくそろっている」という意味で、近代に生まれた用法なのです。