暮らしの中の仏教語
 
「会釈」 (えしゃく)

 人に会ったり別れたりするときに取り交わす「こんにちは」「ごきげんよう」という儀礼的な挨拶に対して、気軽に首(こうべ)を垂れて一礼するお辞儀を会釈といいます。お辞儀もせず、傍若無人に振る舞うと「遠慮、会釈もない」と非難されることになります。では、このようなお辞儀のことをなぜ「会釈」というのでしょうか。

 この会釈という語は、もとは仏教経典の解釈に関する用語でした。経典の中には一方で有といい、他方では無というように前後相違して見える内容を説く場合があります。そのような異説を相互に照合し、その根本にある真義を明らかにすることを「和会通釈(わえつうしゃく)」と呼んでいます。この四字熟語を「会通」あるいは「会釈」と省略して用いる場合があります。

 この仏教用語としての「会通」も「会釈」も表面上は互いに矛盾するように見える教説を意義が通じるように解釈することを意味します。このような経典解釈の用語から転じて、多方面に気を配り、相手の心を推しはかって応対することを「会釈」というようになったのです。もとは相手のことを思いやる精神的な意味合いの言葉でしたが、今日では心遣いよりも身体的なお辞儀のみを指すようになりました。
 
 昨今の風潮を悲しみ、「いろ・かたち」の背後にある「見えないもの」にこそ想いを寄せなければと願わずにおれません。