暮らしの中の仏教語
 
「娑婆」 (しゃば)

  テレビドラマや映画で、刑務所から出てきた人が「シャバの空気はうまいな」とつぶやくシーンがよく出てきます。この場合、シャバは不自由で閉鎖的な場所から解放されて、束縛のない自由な身になったことを意味しています。また、名誉や損得に対して、人並み以上の関心を持つ人を指して、「あの人はシャバっ気が多い」と言う場合もあります。この場合、シャバは様々な利害がからみあう世間そのものを意味しています。シャバとは私たちが生活しているごく普通のこの世の中を指しています。

 仏教語で娑婆は、原語で「サハー」といい「忍土(にんど)と訳されます。忍土とは、「苦しみを耐え忍ぶ場所」という意味ですが、そのあまりに露骨で身も蓋もない表現なので人々に嫌われたのでしょう、忍土という言葉はあまり使われてこなかったようです。いずれにしても、私たちが生活しているこの世の中は、本質的に苦しみを耐え忍ぶ場所であるというのが、仏教の世界観です。感覚的に言えば、苦しみなどは自分の人生から排除したいというのが本音です。しかし、生きとし生けるものの中で、生きる苦しみを持つものは人間だけでしょうし、生きる苦しみと生活の不都合は決して同じではありません。このように考えてみると、単純に苦しみを排除することが幸福につながると考える態度は、人間であることを自ら放棄することに等しいとさえ言えるでしょう。

 「娑婆」には、もう一つの意味があります。それは、ブッダ釈尊が人間を教化する場所という意味です。つまり、私たちの苦しみに満ちた生活の中に、苦しみを生み出す根元を教えて、現実の生活を照破される生き方を教えようということです。眼前の苦しみは、そのよって来たる所を明らかに知って、人間であることを完成していくための糸口であると教えられるのです。