暮らしの中の仏教語
 
「開化」 (かいけ)

  今では古い言葉になってしまった「文明開化(かいか)」。ここに言われる開化は、もとは開化(かいけ)と読む仏教語です。人の心を開き導く仏の教えのはたらきを意味します。自分の考えに閉じこもっている在り方を開いていくはたらきのことです。

 明治という新しい時代を迎えた時、西洋文化の流入にともなって、人々は未来に大きな期待を寄せました。そのような時代の空気の中で、「文明開化」は華やかで明るい未来を予感させる言葉でした。すべてが開けゆくように見えていたのです。実際、社会の体制や制度から日常の暦、服装に至るまで、すべてが改まった、まさに「一新」と呼ばれる時代でした。しかし、どんな新しいものでも時間がたてば古くなります。目新しいものも慣れれば飽きてきます。前の方が良かったということすら起きます。開けたはずの未来も、新たな問題を抱えることをまぬがれません。開化の語には文化が開けてゆくことへの期待がともなっています。しかし、文化が開けるとは決して人間の思い通りを追求していくことでないはずです。思い通りを追求する先に本当の安心はないのです。便利なことのみに価値を置けば、不便なものは嫌がられます。役に立つことを重視すれば役に立たないものは捨てられ、しまいには人の命でさえも、価値の有無で計られることになります。それが閉じられた生き方です。

 開化とは、閉じられた生き方に開け(ひらけ)がもたらされ、思い通りを追求する生き方が破られ、ものの見方が開けることです。思い通りにならずに行き詰まった時、それはこれまでの生き方を問い直す契機なのです。