暮らしの中の仏教語
 
「世界」 (せかい)

  世界という言葉はもともと仏教語で、原語は「ローカーダーツ」。世界の「世」は「ローカ」で、月日の照らす領域、広がりを持った空間、場所。一方「界」はダーツで、構成要素、成分、地層のこと。総じて世界とは、衆生や仏陀が身を置く活動領域を意味します。

 「これより西方に、十万億の仏土を過ぎて、世界あり、名づけて極楽と日う。その土に仏まします、阿弥陀と号す。いま現にましまして法を説きたまう」(『仏説阿弥陀経』)「十方無量不可思議の諸仏世界の衆生の類、我が光明を蒙りて」(『仏説無量寿経』)人びとは人それぞれの世界を生き(衆生世界)、それに応じて限りなく諸仏が活動してくださっており(諸仏世界)、さらにその根底には、諸仏を超えて諸仏の活動を呼び起こしておられる本願の世界(極楽世界)が今現にましますのです。

 世界とは唯一の神や理想により一方的に創造され秩序づけられた唯一世界ではなく、限りなく豊かに生き生きとはたらきあう関係世界なのです。人間の救いは共に救われることです。そのためには、すべてが共に唯一の世界に統一されればならないと思ってしまいがちですが、人間世界の多様性は否定されます。「みんなこの指止まれ」では、止まれない者は排除されるからです。
 
 そうではなく、いかなる衆生であっても、限りない諸仏の世界に出会い、そこにご教化くださる諸仏のましますことを知らされます。これが釈迦弥陀諸仏の世界です。そして一切の世界を平等に見出した阿弥陀仏の世界があります。久遠の昔より「南無阿弥陀仏」の名号をもって私一人を悲しみ救うために、私と一体となって阿弥陀仏の世界に目覚めるまで見捨てることのないはたらきの中に私は生かされています。

 限りなく織りなす大いなる世界に育まれて、今ここに、こうして私は生かされているのです。