暮らしの中の仏教語
 
「付属」 (ふぞく)

 付属品に眼を奪われて車やパソコン、さらには、おトクな通販の品々をいまも買い続けている人も多いことでしょう。付属のものに惑わされるのは、人間の性であるようにも思えます。「付属」とは、付属品という言い方が示すように、主なるものに付いていること、を指すのが一般です。

 ところで、「付属」は本来、仏教語です。仏が教えを流布する使命を付与し、託すことをいいます。例えば、『仏説無量寿経』の巻下には、「弥勒よ。たとひ大火ありて三千大千世界に充満すとも、かならずまさにこれをすぎて、この教法を聞きて、歓喜信楽、し、受持読誦して如説に修行すべし。」と、釈迦牟尼仏が弥勒菩薩に本願念仏の教説を伝えることを託したとあり、これは「弥勒付属」と称されます。ここから、師が弟子に仏法の奥義を伝授し、それを後世に伝えるよう託すことを付属といい、頼み預けること、与えること、託すこと、という意味に用いられるようになりました。

 付属とは、おまけではなく、本体そのものが託され、与えられることなのです。付属こそが大切な中身を内包するものなのです。