暮らしの中の仏教語
 
「超」 (ちょう)

  「チョーおいしい」「チョー腹が立つ」「チョーおもしろい」・・・若者のことばとして普通に使われています。価値観が多様化して、ちょっとやそっとの違いでは気持ちを表現できなくなってきたのでしょうか。その意味は、「ものすごく」「最高に」という響きを感じます。

 ところで仏教語としては「超」は「完全なさとり」を意味します。相対有限という比較の世界を超え出て、絶対無限の世界を感得することをいいます。 絶対無限の世界といっても、独りよがりの世界ではありません。

 「チョー」には、誰にでも共通に感じるという意味があるのかもしれませんが、「完全なさとり」である「超」も、そのように「一切衆生(いっさいしゅじょう)に超えて通じる」という意味があります。

 親鸞聖人はこの相対差別の苦しみの中、どこに一切の衆生がひとつになれる世界があるかを尋ねました。そして「名声超十方」、一切衆生に超えて通じる「南無阿弥陀仏の名号(みょうごう)」こそ「完全なさとり」の用(はたら)きであり、その用きによって相対有限の比較の世界で苦しむ一切の衆生を救おうという、弥陀の本願の歴史に出会われたのです。

 親鸞聖人が現代におられたなら、「チョーサイテイ(最低)なる我らなり」と語られたかもしれません。