暮らしの中の仏教語
 
             「通達」 (つうだつ)

  一般に通達(つうたつ)と言えば、お役所などから回ってくる通知を指します。隅々にまで行きわたるようにという意味で名づけられたのでしょう。

 この言葉はもともと「つうだつ」と読む仏教語で、仏道に深く達しているという、仏のさとりを意味しています。
 「さとり」と聞くと現実離れしたもののように聞こえるかもしれませんが、実はさまざまな思い込みから解放された、物事や現実をしっかりと見通す智慧をさとりといいます。
 
 私たちは、心のどこかで、自分のものの見方や判断は間違っていないと思っています。そのように思わないと、自信も持てず、行動に移せないのが人間の性分なのかも知れません。

 ところが、これまで営々と積み上げてきた人間の歴史は、本当に間違っていなかったと言えるでしょうか。確かに、物は豊かになり、生活も便利になりました。しかしその一方で、自然界には存在しなかった物質を生み出し、自分たちの生きている環境を自分たちの手で破壊することすら引き起こしています。これを果たして賢さと呼べるでしょうか。よかれと思って積み上げてきたことが更に深刻な問題の原因になっていく。それは、何が本当に大切であるのかを見通すことができていないのでしょう。進歩、向上という名のもとに、目先の利害ばかりを優先させてきた結果なのでしょう。

 自分は間違っていないという思い込み。もっと便利で豊かになるはずだという思い込み。この思い込みこそが実は危い。賢いどころか愚かですらあります。それに気づくところに、現実を見通す眼を獲得できる。そのことを仏教は通達(つうだつ)という言葉で教えているのです。