暮らしの中の仏教語
 
             「暗証」 (あんしょう)

  キャッシュカードやクレジットカード、買い物によってポイント(点数)を貯めるカードなど、数えると何十枚にもなるカードが、財布やバッグの中をにぎわせている方も少なくないでしょう。またカードの種類によっては、本人であることを証明するための暗証番号(四桁の数字)が必要なものもあり、これがなかなか厄介です。なぜならその番号を忘れてしまうと本人ですらそのカードが使えなくなったり、他人に読まれて不正に使われることにもなるからです。

 ところで、「暗証の禅師」という言葉があります。「暗証」の<暗>とは<くらい>、<証>とは<さとり>、すなわち「坐禅ばかりしていてさとりにくらい(教えの理解に乏しい)禅僧」のことをそう呼ぶのだそうです。ですから、現在私たちが、暗証番号という言葉でイメージするような、「自分であることを暗に証明する」という意味での暗証とは、まったく異っています。

 「暗証」は、必ずしも禅僧に限ったことではないようです。というのは、ちょっと聞きかじっただけで教えを理解したと思い込んだり、自分一人の狭い殻に閉じこもってしまうような心は、私たち一人ひとりの中にもあるからです。私たちはいつでも、自分の都合によいようにすべてを理解しようとする存在です。そのような自分の中の暗い心を教えによって照らしてくれるのが仏教です。

 自分の暗証番号をうっかり忘れてしまったときは、本当の自分に出会えていない「暗証」な自分に目覚めてほしいという仏さまの呼びかけなのかもしれません。